ビヒャーナ  泉ヶ丘だより

オールドボーイ be here now ビヒャーナのその日その日の想いを伝えたいと思います

『家庭でできる環境対策のひとつ』


『家庭でできる環境対策のひとつ』
(スカイラウンジ「有視界飛行」)より転載します。
節電対策のお役にたてば幸いです。

省エネ、省熱の観点から普段何気なく点けているテレビの消費電力と電気代をラジオと比較してみた。
ラジオと比較したのは、ただ単にテレビをBGM代わりに使うケースが多々あることを想定してである。
電気代の前提は、1kWh=16.92円、1日8時間30日使うとする。

まず、32型の液晶テレビの場合ソニー製でJ1シリーズ(KDL-32J1)で消費電力134Wなので、544円/月掛かる。
次に52型のスタンダードハイビジョン液晶テレビの場合
同じくソニーのV1シリーズ(DL-52V1)の場合、消費電力は281Wなので、1141円/月掛かる。
次に52型のフルハイビジョン液晶テレビの場合
同じくソニーのKDL-52X5050の場合、消費電力が315Wなので、1280円/月掛かる。
次に50型のフルハイビジョンプラズマテレビの場合
松下のTH-50PZ800では、消費電力が585Wなので、2376円/月掛かる。

 一方である。
ラジCDではどうか。
松下のポータブルステレオCDシステム RX-DX1では、消費電力が13Wなので、53円/月である。

ラジカセではどうか。
同じく松下のラジオカセット RX-FS25で消費電力が12Wなので、49 円/月である。

単なるラジオではどうか。
同じく松下のラジオRF-U350で消費電力が6.0Wなので、24 円/月である。

 ここまでで言えることは、当たり前だがラジオ、CDは電気代が安いということ。液晶テレビと比べても月に1000円以上は安上がりだし、プラズマに比べると2000円以上安い。また、液晶テレビは確かに同サイズのブラウン管に比べ消費電力は低いが、大画面高精細に対応できるため、結局消費電力は多い。

 しかし、問題はこれだけではない。
テレビは熱を持つ。消費電力の大部分を熱で消費する。

ゼピールの近赤外線ヒーター DHK-C456で消費電力は450Wである。
もちろん、熱となるか光となるか音となるか多少の違いはあるが、大部分は熱に消費されるのは間違いないから、結局52型のプラズマはこの電気ヒーター程に、部屋を暖めることになる。

 一般的に、エアコンの設定温度を1度上げるだけで、もちろん効率にもよるが10%の節電になるそうだが、仮にテレビをつけた影響で部屋の温度が3度上がるとすると、夏場の場合冷房を使いその分を余計に下げなければならない。
一般的なエアコンの消費電力を1kW程度とすると、300W程度余計に消費することとなる。
先の条件でいくと、1218円/月余計に電気代が掛かる計算になる。ラジオ、CDの場合ほとんど発熱しないからこの影響は考えなくてもよい。

 従って、プラズマの場合、月に2376+1218-24=3570円、液晶の場合でも1280+1218-24=2474円ラジオに比べて出費となる。

 結局、見たい番組以外テレビを見ない、BGMとしたければラジオ、CDに限るということではないだろうか。

 ついでに、地上波デジタルはシステムの圧縮、変調、復調、伸張のため、約2秒信号が遅れる。ますますラジオの出番ではないだろうか。

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2012年05月21日10:07
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学校を解体しよう

放送大学を利用してなにかを勉強しようと思い立ったまではよかったが、何を専攻したらいいのかあれこれ迷った挙句、この4月の入学は見送った。
しかしネットを生かして勉強しようとする方向付けは間違いではないことは確信した。

もう今のような学校制度は小学校から大学まですべて解体しよう。
なぜなら知識を得るための場として独占してきた学校という制度は、不用になったどころか、時代遅れの制度がもたらす制度疲労のために様々な弊害を社会に及ぼしていてこのまま放置しておくのは危険ですらある。

学級崩壊、モンスターペアレンツ、過度の塾通い、不登校、鬱(うつ)教師、いじめ、受験競争の低年齢化、身体教育の欠如、学校の閉鎖性等々、、、門外漢でも問題点と思われることがすぐに挙げられるほどに崩壊しかかっている。

小中高だけでも12年、大学を入れたら16年、人間として育ちざかりの真っただ中の貴重な時間を、学校人間としてこんな崩壊寸前のしかも閉鎖的な学校に縛りつけられるなんて社会にとっても本人にとっても、あまりにも不幸な話である。


ところがネット学習という救世主が現れたのだ。

学校の科目授業はネットによる独習で十分である。
学歴だけの平均的な馬鹿を大量生産する教育制度は即刻辞めよう。
その代わりに日本人だれもが世界中で活躍できるように道徳心や礼儀作法を身に付けさせる為だけの学校と定義づけよう。
だから学校を残すとしたら、情操教育、書道、武道、華道、茶道、囲碁将棋、スポーツ、文学、音楽、彫刻、美術、技術家庭、農業を学ばせる場とすればいい。
幼い時、若い時に人生の楽しみの引き出しをいっぱい作っておくことほど幸福なことはない。

元来、多神教に近いあらゆるものを受け入れる柔軟性を持っている民族性なのだからそれを長所として生かせばいいのだ。
一神教的発想には勝者と敗者が必ずそんざいする相争う非平和的思想を基本的に持っているから西洋のまねなどする必要はさらさらない。
そうすれば情操も豊かになりほっといても子供達は勉強するしネットによる学年別単位取得も苦ではなくなる。
家で家族たちとの時間を共有しながら勉強すればいし、営利目的の学習塾が嫌でも勉強させるから問題ない。
仮に受験的なものが例外的にあったとしても、受験のテクニックなどフェイストゥーフェイスで教えるようなものではないし勉強方法などもネットでレシピを書いておけば十分こと足りる。



今の世界一の名門大学を出た人間が世界一悪いことをし、東大卒が日本一悪いことをしているエリート教育中心の学校制度はやはり、古いし、どこかおかしい。
又、優越感と劣等感に振り回される学校序列からはまっとうで誠実な人間が育つのは難しい。
卒業してもネット単位を終了したという意味だけの卒業だから、学校格差というものもなくなる。
庶民同士が差別し合う母校意識もなくなればいい。
今の放送大学をイメージすればいい。
だから死ぬまで勉強したい人は働きながらすればいいから、80歳で博士号を取ることも出来る。
そうなれば当然、東大卒、中卒という概念自体がなくなる。
企業はいい人材を欲しければ独自に工夫して採用すればいいので、学歴など無用である。

飲み屋のカウンターで一杯やりながら、マックスウェーバーの『プロテスタンティズムと資本主義の精神』について禿げ頭のおやじ同士が議論してゐたり、将棋を指しながら博士課程にいる孫と大学課程にいる祖父が吉川英治の『宮本武蔵』における武蔵の人生観について語る図のなんと愉快なことか。


そう思っただけでもなんだかわくわくしてくるな。

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2012年05月21日07:07
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いたたまれない気持ちで敢えて転載する

板垣 英憲(いたがき えいけん)「マスコミに出ない政治経済の裏話」〜ニュースにブログ〜より転載する。

福島第1原発の吉田昌郎前所長の「自殺」情報、第4号機「燃料プール」の崩壊危機説が流れている

2012年05月17日 21時13分30秒 | 政治

◆東京電力は、すっかり信用も信頼も失っている。
それは、一言で言えば、「隠蔽体質」が禍している。
何でもかんでも隠そうとするからだ。これに輪をかけているのが、菅直人首相以来、野田佳彦首相の下での枝野幸男経済産業相の隠蔽体質はひどい。
 
最近では、福島第1原発の吉田昌郎前所長の「自殺」情報が流れているのに、何の説明もしようとしていない。
「万死に値する」という遺書を残しているという。東大病院に食道がんで入院していたと言われてきた。
福島第1原発1号機〜4号機にかかわる「核兵器疑惑」などの国家機密のすべてを自らの腹に飲み込んでこの世を去ったのか?
この情報は、東電関係の工事現場では、口から口へと伝えられている。

◆福島第1原発大事故について、原子力安全・保安院の中村幸一郎審議官が、福島第1原発大事故の翌日、3月12日記者会見のときから、「1号機で核燃料の一部が溶け出したとみている」と炉心溶融について発言していた。
 
だが、経産省幹部によると、「菅首相と枝野官房長官は、中村幸一郎審議官 が国民に不安を与えたと問題視し、『もう会見させるな』と指示し、さらに、菅直人首相は、審議官の更迭を命じた」という。
このため、保安院の会見に中村幸一郎審議官は登場しなくなった。
松永和夫事務次官は、中村幸一郎審議官を西山英彦審議官と交代させた。

以後、広報を担当した西山英彦審議官は「炉心溶融」という言葉を使わず、「炉心の毀損」と曖昧模糊とした表現に変わった。事故の2か月後の5月になって東京電力は、ようやく「メルトダウンしたとみられる」という解析結果を正式に認め、発表の遅れが問題視された。
 事故のレベルについても、当時の枝野幸男官房長官は、約1か月にもわたって「レベル5」とウソ発表していた。その後、旧ソ連のチェルノブイリ級の最悪「レベル7」と修正していた。
 
朝日新聞デジタルが5月17日午前0時38分、「経産前事務次官、責任逃れ発言繰り返す 原発国会事故調」という見出しをつけて、以下のように配信した。
 「東京電力福島第一原発事故を検証する『国会事故調査委員会』(黒川清委員長)は16日、経済産業省の松永和夫前事務次官を参考人招致した。
松永氏は『多くの方が苦しい環境で暮らし続けていることに申し訳ない気持ちでいっぱいだ』と陳謝したが、自らの責任を避ける発言が目立った。
松永氏は原子力安全・保安院長などを経て、2010年から11年8月まで経産次官を務めた。事故後は経産省の事務方トップとして対応にあたった。

この日の事故調での質疑に対し、事故直後に設定した避難区域について『保安院に任せて、という気持ちだった』と説明。
昨年夏の計画停電で混乱を招いたことを追及されると『内閣に計画停電のための組織を作った。
私は一員ではなかった』と自らの関与を否定。
昨年6月、当時の海江田万里経産相が原発の『安全宣言』をした判断についても、『私が中心的な役割を果たしたわけではない』と言い切った。責任逃れの答弁が続いたことに、黒川委員長は終了後の記者会見で『責任者として適切だったか、判断が正しかったかという疑問がぬぐえない』と批判した」

◆福島原発4号機のむき出しになっている「燃料プール」の崩壊が、危ぶまれているという。
しかるに、東電は、詳しい情報、説明をしようとしないのである。
これでは、国民は安心して暮すことはできず、不信感は高まるばかりである。
 
Jcastが5月16 日午前10時3分、「「いま一番怖い福島原発4号機―むき出し燃料プール崩壊なら首都壊滅」とい見出しをつけて、以下のように報じている。
「なにやら東京電力福島第一原発の事故原子炉はこのところ落ち着いているようなことになっているが、実態は4号機の危険はむしろ高まっているのだという。米国の著名な原子力技術者アーニー・ガンダーセン氏はこう警告しているのだ。『私は大変危険な状態にあると考えています。地震と津波、さらに隣の3号機の爆発で4号機建屋の外壁は吹き飛び、鉄筋が剥き出しになっています。日本政府と東京電力はこのことを正しく認識していない。放射能が飛散すれば、その範囲は首都圏まで及び、4000万人以上の人が避難しなければならない。人類史上、最悪の事態になる』」

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2012年05月18日16:40
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副交感神経に託すがいい

大いなる力に託そう。

時折思い出したように息子のことを思う。
息子の心配をしたとて所詮無力な親なのだから無用な悩みだろう。
それに少し微細に見れば心配という他者への慮りの器に盛られているけれどその実、それも欲望の変形でおのれの安堵を得た。いがためである。

気づけばいつも周囲に自己執着の高い壁を築いて自らを牢獄に縛りつけている愚かさ。
捨てよう、捨てよう、軽くなろう。何百篇言い聞かせたことだろう
軽くなれば楽にもなろう。楽になれば春の陽の下、おのずと口笛で歌の一つも歌いたくなる。

浜松の姉、無事退院した由。
なにはともあれよかった。電話をしたが別れしなに一人暮らしの弟へ「ご家族の皆さんによろしくね」の言葉が、聞き流したが気にかかった。やはり認知症にかかっているのか。
近いいつの日か会えたとして、弟を認識できなかったらどうしようか?
次の日、主人の病状は回復に向かっていますと、うれしそうな上気気味の声で弟の妻の理知子ちゃんから電話あり。
絵葉書の効果あったかな、よかったな。

体力気力が衰えてきたなと感ずることがたまにある。そのたびに10年後の自分の体力気力への心もとなさと不安がよぎり、交感神経を刺激する。
そんな自分を笑ってしまう。
だってそうではないか。まず10年後の自分がまだ生きているという前提がそもそも楽天的な思いの上に成り立っている。
その楽天的な土台の上で、今度は体の具合がどうだこうだと心配する悲観的な見方を成り立たしめている。そのつじつまの合わぬおつむの回路の滑稽さを笑う。

過日の出張先での出来事。
新千歳空港まであと14,5分という時、恵庭ビール園踏切あたりで人身事故発生し、電車は停車した。
「しままつ」という駅にて臨時停車。停車後10分ほどは電車のドアは閉められたままだったが、長引くのだろうかドアを開けた。
現場の詳しい事故状況は今のところ伝えられておりませんが、そのままお待ち下さいとのアナウンスがあったが、乗客は一斉に下車した。およそ2百人ほどは乗っていただろう客の半分ほどは改札口を出て行った。

この駅では下車しても、バス路線もないし、タクシーもほとんど立ち寄らないとのこと、はてさてどうしようか。
その時点で、フライトまで1時間30分。
もし間に合わなければそのあとの便に乗るか、それもだめなら、もう1泊するか、、、。

諦めるがいい。あわてないことにして車内に戻って、成行きに任せた。目を閉じてシートに体を預けた。
しばらくすると、再びアナウンスがあり、現場検証が間もなく終わるので順次発車するとのこと。5分後に電車は動き始めた。この時点で1時間8分の遅れだとのこと。
ホームに出ていた人や一旦改札口を出た人なども車内に戻ってきた。
しかし誰一人として騒ぐ人はいなかった。
大人と言うべきか。大人しいと言うべきか。
空港に滑り込みセーフ。と今度はフライトが20分遅れだと来たから、笑ってしまった。
一度あることは二度あるわけだ。なるようになるのだな。

東京での地震情報と称して恐怖を煽るかのような報道がなされているが、東京で暮らしている息子の身を按ずるが、そこまでにとどめよう。

人事を尽くして、尽くしたなんておこがましいが、なにはともあれ、運を天に任せよう。
それが副交感神経をほどよく刺激してくれてストレスから解放させてくれる処方箋だろう。

泉ヶ岳
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2012年05月16日07:09
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落とし穴

晴れ。
フランスの片田舎の町で公務員になってシドロモドロしながら働いている夢を見ていた。
その夜中に地震あり、震度2ぐらいか。

朝早いためにコンビニにておにぎり2個買って車の中でほお張りながら展示会に向かう。

もう目標とか勇気とかはおれには必要ないと決め込んでしまっていやしないか。本心とは裏腹に。
そんな心持ちになった時に人間は己のこれからの時間を余生と呼ぶのか。
”残された時間”という見方とそこから追認させられてしまう焦り、やや大げさだが諦観、に知らぬ間に刷り込まれてしまっているのだろうな。
そこが落とし穴なのだ。
賢明な思慮を気取ったつもりだろうが、それこそ毒にこそなれ薬には決してならない「杞憂」という落とし穴。

目標、勇気は今=セツナを力強く手ごたえを感じつつ生きていく積み重ねの中から、ひょいと生まれてくる生きている力の突然変異性余剰物なのだろう。
しっかりと観ろ。


人生流転という言葉などは現実感というか実体性などは希薄で言葉の綾ぐらいにしか思っていなかった。
しかし、この頃になって流転こそが人生だなと認めざるを得ないと思うようになった。
人生がこのような様相を呈してくるとは、と言うこと自体、己の愚かさを露呈しているに過ぎないことかもしれない。
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2012年05月15日07:07
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ラフマニノフはさびしい

薄曇。
活元運動後、仏壇に線香を上げる習いもいいものだなと時々は感じるが、今朝もその時だった。
亡き妻が好きだったラフマニノフのピアノ協奏曲が流れている。
幸か不幸か5曲の内のこの2番しか妻も知らなかった筈だし、無論ぼくは知るよしもないが、いつしかぼくはこの2番に馴染んでしまった。
なぜだろうか、ロシアの暗愁が親しみやすいのだろうか?

all or nothing?
寂しい、厳しい。
これからも生きていくとして、しかし99%は一人暮らしで生きていくだろう予感あり。
その覚悟の為の地ならしを、今からやっておかないとソフトランディングできないだろう。
ソフトランディング?そんなものを求めるからお前はいつまでも甘ちゃんなんだよ。

いいか、ここまで来てさらに歳をかさねることになると少なくとも今よりは、その今だって相当に精度疲労と言うか、緊張度低下しているのに、もっとそれはススむだろうからソフトランディングなどしたくないって言っても、なし崩し的にそうなってしまうんだぜ。


死んだ女房はおれが彼女に何を求めていたかをわかってくれていた。
一生懸命に生きていこうとすれば否応なく他者を巻き込んでしまうのだな。

やっぱりこれからが正念場だな。
弱い己には負けられないぞ。
他人様はスイスイ生きられてもおれにはできないだから、できるように修養するしか手はない。

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2012年05月14日07:09
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女はたちが悪い

手だれによる行書くずしの文字で自分の名前が書かれている表札がやっとできてきた。
昨日、それを門の柱に掛けた。
やっと一人前の大人になれたなと思うと共に落ち着いた暮らしにもなったということかなとも思う。そして世間に対しては形を示した。
まずはめでたし。

観ていたフランス映画の中で、『女はたちが悪い』というセリフが何度か出たが、ぼくが女に感じているのは平たく言ってしまえばそういう言葉がふさわしい。

http://blogs.yahoo.co.jp/hisa_yamamot/29356491.html
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2012年05月13日15:25
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背骨で呼吸をしてみよう

静けさの 
中に身をまかせるがいい
安んじてまかせるがいい

花の苗や雑草に遊んでもらい
風にも声をかけてもらい
東北に一人住まいする
老いたりし
男の春はおだやかに
ながれていくよ

頭の中はかーらっぽ
こんなしあわせはあるまいて
愚者には
感謝がお似合いだ
だから一日何十辺も感謝する

隙なくされど
ゆっくりと生きていこうよ
さまざまな彩を
楽しみながら生きていこうよ

たまには背骨で呼吸してみよう

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2012年05月13日07:10
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五欲

又、図書館まで自転車を走らせる(触の欲望)。

図書館内の喫茶室にてコーヒーお代わり自由付きのランチを楽しむ(口の欲望)。

坐った眼前には瀟洒にして生き生きとしたブナ科カエデ科の淡緑の林が広がっている。書見の道もある(眼の欲望)。

無論、静かだ(耳の欲望)。

食後、コーヒーの香を楽しみながら(鼻の欲望)、ここ一番、何とかして次回の木彫りの下絵を仕上げたいといくらか力んでいるような気がしている。

しかし、ぜいたくのようだ。
触、口、耳、眼、鼻の五欲を満たされているのにこの上もっととは罰当たりになるぞ。

下絵描く。
尼の姿、裸体=自然。
顔は丸い=太陽を表す。
胸元のペンダントのようなものにも童子の顔。
尼が坐して合掌している両腕に護られて煩悩多き童子は千手で救われる。
高さ30センチ、幅18センチ、奥行き12センチの彫り木を奈良の材木屋に頼もう。

立夏も過ぎたというのにこのひんやりとした空気は意地悪なり。

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2012年05月12日07:09
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標準家族

早く眠れば早く起きられる。
夜遅くまで起きていると朝も遅い。
できるだけ体を使う。使い残して手を焼くようなエネルギーはやっかいだからできるだけ残さないように心がけているから、同輩の口からよく朝3時や4時に目が覚めてしまってなどという話は耳にしているが、今のところは全く関係のない他人事である。

そこはかとなく残り香のようにまとわりついてくる満たされない心のゆらめき、しかし大人になってしまった人生の楽しみは、そんな寂しさを知ることから初めて見い出されるのかもしれんな。


窓越しにあたたかな陽射しを浴びながらふとご近所の子供たちのことを思い浮かべていた。
隣の33,4歳の次男と37,8歳の長女は親と同居、長男は結婚してとなりまちに住んでいる。
反対隣は、30歳を少し回ったくらいだろうか、きれいな娘が母と二人暮し。長男は外に出て親子三人暮らしの由。
裏は長男は名古屋で働いているが、その下の4人は高中生。このご時世には珍しい子だくさんである。
その隣は共に40歳代の息子と娘が親と同居、無論働いているが共に独身。
その隣の一人娘、地元の大学に入って初めは通学していてが、半年後には家を出てアパート住まいらしい。最近、顔を見たことがない。
その隣、50歳に近いのだろうか息子、ばつ一かどうかは知らぬが、親と同居。
道路をはさんだ端の家は子供さんがおらず初老夫婦二人暮し。
その隣は80歳代の夫婦二人暮し、歩くのがやっと。
その隣はぼくと同じ、男やもめ、もう13年だ。
その裏は女房を追い出して一人暮らし、4年にはなるかな。
、、、、もういいや。

なぜだか、次から次へとご近所の家族ぶりを垣間見たが、あらためて夫婦と子供一人あるいは二人などという”標準”家族などいないじゃないか。
いささか、驚く。

30数年前に時間を戻せば、子供がうじゃうじゃいてこんな狭い住宅街もにぎやかだった。
そのうじゃうじゃ群の彼らが成長して現代のいわゆる結婚適齢者と呼ばれるに至った独身者たちは、結婚を本当に望んでいるのだろうか?


先月、発表された人口統計によると、人口全体の比率では、65歳以上の高齢者が23,3%で2,975万人、15歳〜64歳の生産年齢者が63,6%、14歳以下の子供が13、1%で1,670万人とある。
これを100人に配分してみるとおおよそ次のような家族構成となる。
  
  老人夫婦(2人)  ×   9世帯   = 18人(高齢)
  老人一人暮らし(1人)×  6世帯  =  6人(高齢)
  夫婦(2人)+子供(2人)×3世帯   =  6人(生産人口)
                      =  6人(子供)
  片親(1人)+子供(1人)×4世帯   =  4人(生産人口)
                      =  4人(子供)
  夫婦(2人)    ×   15世帯  = 30人(生産人口)
  一人暮らし(1人) ×   17世帯  = 17人(生産人口)*
                ――――――――――― 
               計56世帯   100人 

(*印の欄は、15〜17歳の高校生が含まれているから、一人暮らしは若干減り、その分、夫婦(2人)か片親(1人)との同居者が増えることにはなる。)

これを見て、さびしいと見るか、成熟した家族観の結果と捉えるか。
食べられない時代だったから結婚した、食べられるようになったから一人暮らしがベターというのは、両者ともやや無理があるところである。

結婚しなくてもいいじゃん。

介護と自立と対立している風に言うけれど、老人に限らず大半の大人は自分自身に関して言えば、自己介護と自立が混ざりあった暮らしぶりが実態であることは言わずもがな。
はてさて、現代の標準家族は、56世帯100人。
1世帯2人弱の構成員。一人暮らしは23世帯23人、子供のいる世帯は6世帯13人、子供の喧嘩する声が聞こえてくる世帯は3世帯のみ。
なんと静かな静かすぎる家族の風景なり。

だけど今こそ、となりどうしが声かけあって仲良くせねばこの世は明るくならんな。

 


5月8日に、民主党のサポーター登録をする。
これで9月の民主党代表選の投票権を獲得したことになる。
翌9日、指定弁護士、小沢さんを控訴する。
愚かなことだ。       
 

      
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2012年05月11日07:21
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抗議声明に賛同する

抗議声明に賛同する。以下転載する。

(転載)
新しい政策研究会 (新政研) :参議院議員 森ゆうこ


4月26日に東京地裁で決定した「無罪」判決を不服として、昨日、3人の指定弁護士が控訴した。
いたずらに裁判を長引かせ、我が新政研の会長であり、この国の最も重要な政治リーダーである小沢一郎衆議院議員の政治活動を妨害しようとするものであり、到底許されるものではない。強く抗議するものである。
検察審査会の起訴議決は、法廷での事実確認を要請するものだ。判決は無罪である。裁判で無罪判決が出た以上、「推定無罪」の原則はより強く尊重されなければならない。従って、小沢一郎衆議院議員は現在、その政治活動に何の制約も受けないことをまず確認しておく。
そもそも、検察が2年間に亘る執拗な捜査にもかかわらず、証拠が無く起訴できなかった事件であり、この裁判の元となった東京第五検察審査会の起訴議決自体が、検察当局の捜査報告書の捏造という犯罪によって提起されたものである。既にインターネット上で広く国民が知るところとなった「捏造捜査報告書」を、指定弁護士も当初から入手していたのであり、指定弁護士は、検察が何故このような重大な組織的犯罪を犯さなければならなかったのかを、まず検証すべきであった。
また、指定弁護士に対して控訴権が付与されているかについては、明文規定がない。明文規定の無い手続きによって活動の自由を奪い、刑罰を科すことは、基本的人権を保障する日本国憲法第31条に違反する。
弁護士法第一条は、「弁護士は基本的人権を擁護し、社会的正義を実現することを使命とする」と高らかに宣言している。指定弁護士であっても弁護士としてこの崇高な使命を負っていることに変わりはない。ましてや、政治主導で「国民の生活が第一。」の政治を実現しようとする主権者の代表、とりわけそのリーダーである小沢会長の活動を更に妨害する権利が無いことは明らかであり、その責任は重い。
小沢裁判とは一体何であったのか。
政権交代を目前にして代表の座から小沢会長を引き摺り下ろした西松建設事件は、結局、ダミー団体ではないと検察側証人が法廷で証言し、「訴因変更」という姑息な手段で検察は裁判から撤退。事実上裁判自体が無くなった。
そして、陸山会事件は担当した検事が法廷で「検察の妄想」による壮大な虚構と証言したように、捜査当局による「でっち上げ」である。
検察のでっち上げだから、証拠が無く、起訴出来なかった。
だから検察は捜査報告書の捏造という大犯罪を犯してまで、検察審査会を悪用した。
また秘書裁判において、裁判所は、証拠が無いにもかかわらず、推認に次ぐ推認という到底許されない方法で石川知裕衆議院議員議員らに有罪を言い渡し、裁判が続いている。
2009年3月3日からこの3年と2ヶ月余り、前述した検察と司法の暴走に、マスコミはメディアスクラムを組んで協力し、それを、改革を阻む政治勢力が利用してきたことも決して忘れてはならない。
これは、明らかに政治弾圧である。
世界の歴史を振り返れば、真の改革者は常に不当な弾圧を受けてきた。インド独立の父であるガンジーは、独立運動を理由として度々投獄されたが、決して屈することなく粘り強い運動を続け、賢明なる民衆を率いて、祖国を宗主国からの独立へと導いた。
我々新政研は、不当な政治弾圧に決して屈することなく、これからも、小沢一郎会長の下に一致結束し、民主党政権が政権交代で国民に約束した「国民の生活が第一。」の政治を実現するために、全力を尽くしていくことをここに宣言する。

            平成24年5月10日
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2012年05月10日16:06
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風呂場から宇宙の静寂が見える春

実際に年寄りなのに、若い男が年寄りを演じている気分になって、パンジーの萎えた花を摘んだり、芽吹いたばかりのちいさな木の芽を指先でそっと触っているのは不思議な感覚である。


       静寂に吐き吸う息が動いてる

       静けさに抱かれ仰ぐ春の月

       ぼちゃーんと湯船にはねて消えにけり

       静寂に金子由香里を歌いだす

       れんぎょうの黄色に会えてそば食べる

       おだまきに一目ぼれして幾星霜



       亡き妻を呼んで悔いてる春の暮

        この世から姿隠すを死ぬと知る

       酔うた手で足撫でている雨やまず

       尻振って春に繰り出す猫や猫

       値引き後の鉢植え買って得意顔




この四月からは放送大学で特定の科目を専攻して勉強してみよう、テレビ授業をBSでもやるようになったしと去年の秋ごろから意気込んではいたのだが、結果挫折した。
言い訳はすまい。完全にリタイア―したら取り組むことにしよう。

出汁つくりに使ったにぼしをかの野良猫は喜んで食べる。
フードよりは和風でうまいのか。

消費増税を国民に要求する一方で、5兆円ものIMF献金を勝手に決めた日本政府をまったく批判しない大手マスコミ人は恥ずかしくないのか。
小沢さんの無罪判決がおかしいとか限りなく黒に近いとか言う前に、検察のニセ調書や最高裁事務局、検察審査会の全容を国民の前に明らかにせよ。


五月になれば、か。
もの悲しい響きの中に秘めた熱い思いもあきらめろよと諭すかのような虚ろなこころの嘆きも混ざり合って、なんか好きなフレーズである。
独り流罪で遠島に流されて来る日も来る日も黙々と絵を描いている心境。
あきらめよう。
弟の腸閉塞、流動食で好転しかけたが後退、様子をみつつの状態、しかし本人の気持ちはしっかりしているとのこと、頑張れよ。

いろんなジャンルの好きな曲ばかりを編集したCDを聞くのは幸いなり。

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2012年05月06日07:06
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春の夜は時に楽しく

昭和の日の旗日だったからなどと言い訳にもならないが二日酔いとは愉快なりと強がってみるのも、健康のためなら死んでもいいなどと、生きたいのか死にたいのかわからんことを言う輩とはちと違うからだ。

一度身についた習慣というべきか、あからさまに悪癖というべきか、いやデジタル思考のようにそんなに割り切れないのだから悪癖とは言い過ぎであろう。
ほかでもない、自制の努力はしたけれどそれに勝る外に飲みに出たがる(やはり悪癖か)勢いには逆らえず。まだわずかながら寒さの残る夜気の中、タクシーに乗って行き先を告げる。

史乃へは去年の夏、東北六魂祭の見物の後、息子と彼の女友達を連れてたちよっって以来である。
ビールを飲みキープしてあった焼酎の水割りを飲む。初鰹の刺身がとろけるようで旨い。
隣りの席の魚市場の仲買問屋の専務とはこの店の中だけのつきあいだがかれこれ14,5年か。
彼の左となりに並んで座っている二人とは初対面だが、当たりそこないのファールやピーゴロみたいな言葉を同年代のよしみでかばいあいながらさばき送球し捕球しているうちに仲よくなり、魚屋越しに親しく話すようになる。
この二人ともわれと同じ男やもめ同士、3人ともびっくりもし、相憐みの情も増していったやに思われるも、人の心など定かではない。

息子夫婦に店を任せたママもやや老いた。
昔のような甲高いけど愛嬌のあるお愛想や軽口の一つも聞けず、おとなしくもっぱら脇役を心がけているさまはいささかさびしい感もあるも老いては子に従えなのか。
女は三界に家なし、かな。ちと違うようだが悲しいぞ。


一時間余、お先にと店を出た。
史乃からゆみこまでのこの道がいつの間にか好きになっていた。
孤独を噛みしめるにはもってこいの短いセンチメンタルジャーニーの路である。彼等もやもめかぁ、しかし同じ男やもめでも俺は一味違うやもめになったのだ、諸君。と独り言を夜空に向かって吐く。酔っていても自己顕示欲だけは一人前でケッコウなことなり。
その夜も久しぶりにほろ酔いの足取りとは裏腹に、気分だけはスキップしたくなるほどに軽やかなつもりで、3,4百メートルほどもあろうか、緩やかな下り坂を歩く。


その夜は幸運だった。
ゆみこのドアをあけるとカウンターに陣取った面々は気に入りの昭和生まれの旧知の男女ばかりであった。
一人だけ見なれぬ老女がいた。ウーロン茶をなめながら、いろんな歌手の演歌を歌うのはいいが、音痴一歩手前のようで、どれも同じに聞こえてくるから笑ってしまう。
飲み、歌い、踊った。
10時を回ったころ店に入ってきた男とは、すぐに親しくなった。
新潟は新津の生まれ、君よりは5つ年上でマ、親には苦労させられてネ、いろいろあってネ、、、マ、マ、飲みねー飲みねーで、ウイスキーの水割りを勧められる、断るわけにもいかず飲む。
又、しばらくしてから二人の男が入ってきた。そのうちの一人はプロ歌手で60歳、トラック運転手から転身したばかりの新人、ホラ、このポスターがこの人よと壁に張った本人とはかなり違うイメージの写真をママが指さす。名刺をいただいた上に歌も聞かせてもらう。
うーん、一音一音を丁寧に歌う、たましいが入っているとでも言うのか。
酔っているからうまいことにしておこう。
それにしても還暦でプロ歌手とはひょうきん野郎もいたもんだ。なんだか同類と出会ったようでうれしくなった。

帰宅した翌日は11時まで眠っていた。
二日酔いでボーっと過ごす。以前だったら自己嫌悪におちいるのが相場だったのに、違う。
こんな気分も変化があっていいもんだとマンザラでもない。大人になったか。
ようやく夜になり、手製の二年漬けた梅酒をもったいなさそうにストレートで飲んだら二日酔いから醒めた。

明日から五月なり。


怒れる裸婦
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2012年05月01日07:12
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一日生きて一日死んだ旅人となる

4月も下旬だというのにJR東室蘭駅のプラットホームを吹き抜ける風は本州から来た人間にはまだまだ冷たく感じる。
もはや習い性になったのだろう、旅に出ても何かしら書き記していれば気持ちが落ち着くような気がしている。
なんだかこっけいでもあるし、病的でもあるかもしれんが、いい時間を過ごしているとも感じている。
今こうしてホテルから失敬したメモ用紙に書きつけているのはリアル世界の出来事であるが、これらの雑文をつなぎ合わせてネットに乗せると我が手から離れた第4人称世界と名付けているヴァーチャル世界に移動し、変質する。
こんな視点はweb第一次世代的なレベルだろうけれど、当人はこの程度のレベルで大いに満足している。

苫小牧駅周辺には喫茶店があったはずだがとぐるりと回ったらようやく1軒あった。
得意先との約束までの時間つぶしの場があってよかった。

リアル世界では当然のことながら、見知らぬのにたくさんの共通項を共有しながら暮らしている多くの方々から、共に透り抜けてきたヴァーチャルの世界でコメントをいただいているこれらの人々は『街の灯』の”今だ見ぬ人“なのである。
この人々はぼくにはこれから先も”いまだ見ぬ人“でありつづけるのだという一人勝手な約束事があればこそ、リアル世界とヴァーチャル世界が並存できると思っている。

リアルからヴァーチャルへ移動し変質すると書いたが、ナニがどのように変質するのか。
第4人称 の世界という客のいない一人芝居のようでもあり、自慰的でもあり、リアルからの駆け込み寺であったり、虚無と親和する場であったり、気狂いに刃物的ですらあったり、少年の日に戻れる場であったり、妻に逢えるタイムトンネルであったり――――リアル世界では見えなかったらしい微細で偏頗な心のかけらを拾い集めて、第4人称世界の他者である誰かに見られたいと願うものへと変わる。
しかし、それは私でもあなたでも彼でもない第4人称という永遠なる”今だ見ぬ人“へ表白することによってリアルな世界のぼくを又、変えていく。

暮色濃くなった頃、ようやく札幌についた。

行きかう人の流れを見るともなく眺めやっていると、人間は人生と言う名を借りて、しばし時間と空間を間借りしているに過ぎないんだなぁと思う。
映画のワンシーンのように、この雑踏の人間はいずれ誰もがフェイドアウトしていく、まさしく幻影でもあるんだなと思うことが、やさしさに通じているように感ずる。
だとしたらリアル世界なんて、一体ナニを指して言っているんだろう。
どこがリアルなのだ。
諸行無常を解するセンスなど爪の垢ほども有しないじゃないか。
単に機械的なデジタル世界の仕掛けに対応させる記号上のリアルにすぎず、デジタルに迎合する太鼓持ちでしかない。

むしろヴァーチャル世界の方が誠実かもしれない。
身振り、手振り、声、表情を捨象して、ただ孤立無援の言葉という道具のみでコミュミケーションを成立させようとしているし、それがより新たな想像力を創造させる契機となっていることも、おもしろいしいさぎよい。

タクシーに乗るには近すぎるしバス停からは遠い。じゃあとまだ風冷たい中、札幌駅までのんびりと歩く。
発車10分前にホームで食べる立ち食いソバはなぜかうまい。

一日生きたことは一日死んだことであるという把握はさびしいが真実であろう。
その伝でいけば、今回の出張は札幌で三日生き三日死に、旭川で二日生き二日死んだ旅であった。


考える裸婦
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2012年04月27日07:08
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セカンドオピニオン

我が国でも20歳代のネット接続時間がテレビ接続時間を逆転した由、この差はこれからますます広がる傾向でもあるらしい。
又、アメリカではケーブルテレビが毎年100万人単位で解約しており、この勢いはさらに加速するらしい。

ふむふむ、なぜか東北仙台の北端に住まいする独居老宅においても、ネットの方が質的にも量的にも圧倒的にテレビ、新聞をしのいでいる。
その主たる事情としては、いわゆる宅配される新聞購読をやめたことである。もうやめてから3年近くになるだろうか、新聞のない暮らしが当たり前になっているから不思議である。

タバコなしのコーヒーや酒など考えられなかった1日4,50本のスモーカーが今ではタバコがなくてもコーヒーも酒もうまいから現金なものだ。
そんな禁煙に例えるのは少し違うかもしれないが新聞も似たりよったりだ。
その新聞をやめて3年、前にも感想を書いたが、今は新聞の必要性は残念ながらいっそう遠のいた感がする。

当然のことながら、新聞で知り得ていた情報は、ネットで事足りているがそれだけだったら、朝刊1か月3,050円を節約できるというせこい家計の問題に終わってしまうわけである。
ネットの世界は想像していた以上に、深く広く、美しく醜く、やさしくもあり恐ろしくもある。
大人のオモチャなどとゆめゆめやゆするなかれ。
つまり、ぼくには旧き自分が何度も何度も脱皮を余儀なくされる世界、あるかなしかの自分の世界観、価値観が壊されてゆくのが、快感でさえある。無論、破壊の後には創造があるように自分の裡で、新しい世界を構築していく楽しみがあるからではあるが、、。

だからネットによる情報収集が至極、当たり前のことである。

知らぬが仏見ぬが花という日本人好みの美意識もわからぬではないが、ここまでのネット世界との接触での感想を一言で言えば、「情けなや、あまりに無知すぎたな」であろうか。


陽の当たる縁側で隠居老人が日永1日、新聞を読んでいるようでもあり、のぞいているようでもあり、字数を数えているようでもある平和な絵姿が――あたかも映画の定番のカットのように――暇つぶしの典型として残像のように焼き付いている。
しかし、もうこのようなのどかな絵は、だまし絵としての役割をもう終わらせることにしよう。
だまし絵とは穏やかならざる謂いだが、ぼくはまんまと騙され続けていた。
(ここではこれ以上、過激な言葉は慎もうと思う)

病気になった時、一人の医者だけでなく、セカンドオピニオンとして他の医者の診断も聞いて判断するのが常識になってきたように、情報収集も右ならえ右のマスコミの情報だけでは彼らの思うつぼである。
言うまでもなく情報収集においてもセカンドオピニオン、もっと多岐にわたったうえで判断することはとても大切である。
ぼくにとってのネット情報はメインでもありセカンドオピニオンでもある。

政治についてあれこれと喋る奴も聞く奴もとてもエラソーに思える時があった。
必ずと言っていいほど、世界のどこかで戦争や紛争が生じているなと素朴な疑問を抱いていたが、今はその正体はわかった。

思えば去年の今頃はまだまだ大きな余震におびやかされる毎日で、花どころではなかった。今年は心穏やかに花や膨らみ始めた木の芽を愛でるシアワセに感謝しよう。
 

追記 個人的な感想・・第4の権力として、政治権力に立ち向かってもの言っているまともなマスメディアは東京新聞ぐらいだろうかと思う。

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2012年04月22日07:12
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