Cafe Vita
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余震の中で新聞を作る48〜種まく人・その後/花に託す
11月27日朝、南相馬市原町区萱浜(かいばま)の集会所の前には、およそ40の住民が集っていました。アスファルトの地面に、電動の草刈り機、竹ほうき、熊手のほか、携帯式の高圧洗浄機も並んでいます。段ボール箱には、上下セットの防水作業着やゴム手袋、防塵マスク。それらを、萱浜行政区の役員らが配っていました。
この日は午前8時半から、南相馬市からの助成を受けた初めての除染作業が、萱浜地区の集会所周辺、地元にある原町三中、大甕(おおみか)小の子どもたちの通学路で行われるのでした。私は、その話を区長の八津尾初夫さん(61)=『余震の中で新聞を作る37〜種まく人 その後/夏の日差す』参照=から伺い、実家のある相馬市経由で、ボランティアでの作業参加を兼ねて訪ねました。
福島第1原発から20〜30キロ圏にある同市原町区では、9月30日に緊急時避難準備区域が解除され、同区の小中学校12校のうち5校が10月17日から、7カ月ぶりに授業を再開しました。大甕小もその一つ。児童204人のうち75人が元の校舎に戻りました。このうち2人は県外の避難先、残る児童たちは自宅や仮設住宅から、指定区域外にある同市鹿島区の小学校にバスで通っていました。
「大甕小の再開後、子どもたちは(放射線を心配する)親の車で通学しているんだ。でも、そうやって1つ、1つ、みんなが安心して萱浜に戻ってこられる環境をつくっていかなくては。きょうは、その一歩」。八津尾さんはそう語りました。
萱浜は、20キロ圏と境を接する地区ですが、放射線量は原町区中心部(12月2日、市役所庁舎前の空間線量表示が0.5マイクロシーベルト台/時)よりも低い傾向が続いています。八津尾さんらの前日の測定によると、集会所の敷地内の空間線量が0.1マイクロシーベルト台、通学ルートの道路で土がたまりやすい縁石付近がすべて0.3マイクロシーベルト台、同じく歩道脇で0.2〜0.5マイクロシーベルト台。それらを市内共通の「放射性物質除染マニュアル」に沿って、さらに減らそうという作業です。
私は作業着など一式と持参した長靴を身に付け、竹ぼうきを一本担いで、通学路除染グループと一緒に目的場所へと歩き出しました。
よく晴れて、風が強い、浜通りの初冬らしい朝。道路脇の田んぼでも、作業中の重機やトラクター、人の姿が点々とありました。津波の潮をかぶり、あるいは市内全域のコメ作付自粛のため、放置された田んぼには雑草が伸び、見渡す限りの枯れ野の風景となっていました。多くの担い手の命や家、農業機材が流された後、地元では、より規模の大きな区画への農地整備を通じての農業再建プランも浮かんでいるそうです。来年のための農地復旧向けて、まず始まったのが除草の作業。刈り集められた枯れ草があちこちに山となって積まれていました。
◇
集会所から西にほぼ400メートル。田園地帯の真ん中を貫く通学ルートの道路を、3つの区間に分けての作業が始まりました。私は、スコップを持つ相棒の男性と2人ひと組。歩道と車道の境の縁石沿いにたまり、こびりついた土と雑草の根を、スコップでほじくり出します。その後を竹ぼうきではき、土を一定間隔で集めていきます。落ち葉や木っ端が交じった盛り土は、いったいどれほどの放射性セシウムを含んでいることでしょう。ひとはきするたび、乾いた冷たい風が土ぼこりを巻き上げ、こちらにも降りかかってきます。
途中で一服を入れながら200メートルほども進んだころ、手にはまめができ、体は汗ばみ、くたくた。別の区間を3、4人で片付けてきたグループが合流して、プラスチックの袋に土を詰め込む作業を始め、縁石沿いにはたちまち白い土のうが40袋余りも連なりました。
終了予定の午前11時を30分ほど過ぎたころ、現れたのが「八津尾農園」とドアに書かれたトラック。八津尾さんがハンドルを握り、土のうの回収役を担当していました。歩くくらいのスピードで動くトラックの荷台に、ずっしりと重い土のうを、男たちが「よいしょ」と気合を入れながら積んでいきます。
道路沿いには、津波で浜から流れ着いた漁船がいまだに残り、その脇を、当たり前のように通り過ぎて、別のグループに合流しました。軽トラックに農業用の水のタンクを積み、それを水源にした高圧洗浄機が歩道上の土を勢いよく流しています。
「表面はきれいにできるが、コンクリートやアスファルトの細かい穴に入り込んだ土粒は、なかなか取れないなあ」。操作していた年配の男性が言いました。歩道と小さな橋の継ぎ目に水が飛ぶと、ねぐらを襲われたかのように、大量の泥が噴き出してきました。「なんだ、なんだ。なんぼでも出てくるぞ」。完全に土を除去しきることの難しさ、です。
「さあ、乗っていきなさい」。除染の区間を一通り回って、土のうを回収してきた八津尾さんが、助手席の窓を開けて声を掛けてくれました。荷台には、力仕事を終えて一息、という様子の若手たちが乗っています。作業の最後、土のうを、借り置き場に運んでゆくのでした。
現在の集会所の前を通って向かったのは、八津尾さんの自宅をはじめ多くの家々が流された浜の地域。土台だけ残るかつての集会所の跡でトラックは止まり、ばらばらと飛び降りた6、7人が、土のうを1つ1つ口で数えながら手渡し合い、並べていきます。「全部でいくつあった? 92袋だね」と、八津尾さんが確認し、記録しました。ここはあくまで駆り置き場。計画された区間の除染はこの日だけで終わらず、あらためての協働作業が行われることになりましたが、そのたびに増える土のうの最終処分先はまだ見えていません。
口を覆っていた防塵マスクをやっと外して、見てみるみると、真っ白だった表側は土ぼこりで茶色にすすけていました。それまで付けたこともないマスク装着の理由が、初めて分かりました。
◇
「市役所から連絡があって、萱浜でも、家を再建できる区域の線引き案の説明があるそうです。都合の付く方はできる限り、話し合いに参加してください。行政区に入っていない人たちにも知らせなくては」。除染作業を終えて昼近く、集会所前に再び集った住民たちに、八津尾さんが呼びかけました。復興への都市計画づくりで、津波の浸水地域への住宅再建を行えるようにするか否か、は自治体ごとに論議のある課題になっています。平地の乏しい三陸地方のように高台への集団移転が採られる例、宮城県名取市閖上地区のように地盤かさ上げと多重防御の上での現地再建案を住民自身が選ぶ例もあります。原発事故のために遅れていた南相馬市の復興計画も、ようやく入り口に差し掛かったといえましょう。
八津尾さんによると、萱浜では、行政区に登録された70世帯で、津波の犠牲者が76人に上りました。さらに、近年増えた新しい住民の家やアパートも66世帯あり、そのうち14人が津波で亡くなったそうです。この事実を確かめることも、行政区では時間が掛かりました。原発事故の後、行政区に入っていない人々の避難先をたどるのは難しく、市役所への問い合わせにも「個人情報」が壁になったといいます。「来年2月11日には萱浜地区として、すべての犠牲者の慰霊祭をやりたい」と八津尾さんらは話し合っています。そのためにも早く連絡を取りたいといい、まとめ役としての区長の仕事は難題山積です。
住民たちの前で話をする八津尾さんの後ろには、パンジーやビオラの苗が400鉢ばかりありました。何に使うのかと思っていますと、話の最後、「どうぞ、花の苗を各自、持って帰って、家や仮設の周り、ポットに植えてください。花があるだけで、気持ちも癒されますから」。八津尾さんはこう語り、引き揚げる人々の手には色とりどりの花がありました。それらの花は、「自分自身の農業再開」の一歩として11月から出荷を始めていた苗です。
思い出したのは、ひと月余り前の10月21日。やはり八津尾さんから話を伺って訪ねた、同市鹿島区にある寺内第一仮設住宅での光景でした。その集会所で、「お花の写真スタジオ」という催しが企画されたのです。
八津尾さんが萱浜の人々やボランティアと一緒に7ヘクタールのヒマワリ畑を育て、8月27日、「祈り・絆・希望 ヒマワリに誓う明日への誓い」という交流の祭りを開いた折(前掲ブログ参照)、神奈川県の桜野良充さんという写真家が活動に共鳴し無償の撮影会を行いました。花の写真家として知られ、被災地支援にも歩いている桜野さんが「震災で写真もアルバムもなくした人たちのために、花いっぱいのスタジオを出前し、写真を取りましょう」と提案し、八津尾さんが地元での受け入れに尽力して実現したのでした。
集会所の中には「東京から運んだ」というユリやバラ、カスミソウなどで囲まれたスタジオが設けられ、津波や原発事故のため避難生活を送る高齢者らが次々と「花のフレーム」の写真に納まりました。「金婚式の写真も撮らなかった。これが、2人で写る最後の写真かな。生きているうちに花に埋もれるなんて幸せだ」という80代の夫婦の話を聴きました。翌日も別の仮設住宅で催され、計116組が来場。「花の力」を私も信じたくなりました。
◇
12月2日、吹く風は冬の冷たさを増しました。この日訪ねたのは、八津尾さんの花の苗作りの現場です。3月11日の津波で24棟・計60アール分もの花・野菜苗のハウスが流された後、仕事を再開した先は、原町区の山沿いにある「以前、うちで働いてもらっていたんだ」という親類の農家でした。大きなハウスには、一粒の種から育てたパンジーやビオラの苗が、萱浜集会所で見たものの何十倍ものじゅうたんのように広がっています。
「例年並みの33000鉢を作って、長年つきあいのある地元と白石(宮城県)のホームセンターを中心に毎週出荷しているんだが、全然売れないんだ」と、厳しい表情です。「花を植えようという気持ちがみんな、まだまだ戻っていないのか。あとは、仮設住宅や学校に(無償で)届けたりしているが…」。東京での産直市を紹介され、近々1400鉢を出品する予定があるといいます。「冬の野菜も持っていこうと思う。こちらでは、キャベツが一個1〜10円、ほうれん草も一把10〜20円といったひどい値段しか付かないから」
花の苗は、12月いっぱいが商品としての限度だといい、「残ったら捨てるしかない」。冬を越せず、春を待てず、命を終える花たち。その命1つ1つを、夏のヒマワリのように、枯れ野となった被災地いっぱいに飾ってやりたい。それが「種まく人」の思いでしょう。
「そうだ、また大甕小に届けるか。さあ、行きましょう」と八津尾さんは、鮮やかな黄色のパンジーの苗を計60鉢、かごに詰めました。
小学校の校庭は、授業再開前の大掛かりな除染によって土が入れ替えられ、踏むとふかふかの感触です。ちょうど体育の時間が始まり、青い運動着の20人ほどの児童がボールを蹴りながら飛び出して来ました。ただ、どの子もマスク着用です。「おーい」と、八津尾さんは手を振りながら児童の輪に入ってゆき、一緒にボールと戯れました。とても自然に。
案内された校長室。「もともと、ここは放射線量が低かったけれど、保護者や地元の人たちが熱心に除染作業を手伝ってくださり、今は0.1マイクロシーベルト以下。原町区では一番低いくらい」。平間勝成校長が、区長の八津尾さんに礼を言いました。そして、朗報がありました。「学校に戻った子どもも、増えている。再開時の76人から、今は81人に。3学期には100人を超えそうだ」
南相馬市の小中学校は現在、来春の学級編成や先生の配置数にも関わる、避難先の児童生徒、新入学予定の子どもの家庭の意向調査を行っているそうです。つまり、これから来春にかけて、南相馬市に戻るかどうか―という地元の切実な期待と不安の交じる調査です。
「まだ集計の途中」という平間校長によると、大甕小には、福島市などの県内のほか、仙台、愛知、福井、千葉など全国から返信があり、そのうち「来年4月から戻る」との意向が20人以上から寄せられたといいます。「『戻る予定なし』の回答もいっぱいあるけれど、一番多いのが『迷っている』。生まれたばかりの子どもさんがいるとの理由や、遠くで地元の様子が分からないためか『再来年には』という保留も」。どのくらいの児童が戻っていますか―という保護者からの問い合わせの電話も、校長室によく掛かってくるそうです。
大甕小には、隣接地区の太田小の児童40人も同居していますが、今学期末には本校に戻り、3学期になれば原町三中も授業再開の見通しだとのこと。学校の現場でも少しずつ、日常は戻り始めていました。「うれしいのは、母校で卒業したいという6年生が多くなりそうなこと」。八津尾さんにそう話す校長の表情も明るいものでした。「子どもたちの餅つきをやりたい。今年はいろんなことがあったから、にぎやかに。どうぞ、参加してください」
校舎を出ると、八津尾さんは花壇を眺めました。新潟から支援で贈られたウィンターコスモスの黄色が冬の日差しにまぶしく映え、東京の花屋さんらのNPO「花の力プロジェクト」が寄付し保護者らと一緒に植えたという900ポットのビオラが根付いていました。それまで八津尾さんが土作りをしてきた花壇も、校庭の除染と同時に土を入れ替えられましたが、「また一からボカシ肥料を入れて、土壌改良をやったんだ、。いい花が咲くよ」。そう語って、いとおしそうに土をいじりました。

11月27日朝、萱浜集会所。除染作業に集った住民

歩道の縁石沿いにたまった土を削る
(CafeVita/寺島英弥) この記事は講談社のウェブマガジン「現代ビジネス」にも転載されています。
「Cafe Vita」のトップへこの日は午前8時半から、南相馬市からの助成を受けた初めての除染作業が、萱浜地区の集会所周辺、地元にある原町三中、大甕(おおみか)小の子どもたちの通学路で行われるのでした。私は、その話を区長の八津尾初夫さん(61)=『余震の中で新聞を作る37〜種まく人 その後/夏の日差す』参照=から伺い、実家のある相馬市経由で、ボランティアでの作業参加を兼ねて訪ねました。
福島第1原発から20〜30キロ圏にある同市原町区では、9月30日に緊急時避難準備区域が解除され、同区の小中学校12校のうち5校が10月17日から、7カ月ぶりに授業を再開しました。大甕小もその一つ。児童204人のうち75人が元の校舎に戻りました。このうち2人は県外の避難先、残る児童たちは自宅や仮設住宅から、指定区域外にある同市鹿島区の小学校にバスで通っていました。
「大甕小の再開後、子どもたちは(放射線を心配する)親の車で通学しているんだ。でも、そうやって1つ、1つ、みんなが安心して萱浜に戻ってこられる環境をつくっていかなくては。きょうは、その一歩」。八津尾さんはそう語りました。
萱浜は、20キロ圏と境を接する地区ですが、放射線量は原町区中心部(12月2日、市役所庁舎前の空間線量表示が0.5マイクロシーベルト台/時)よりも低い傾向が続いています。八津尾さんらの前日の測定によると、集会所の敷地内の空間線量が0.1マイクロシーベルト台、通学ルートの道路で土がたまりやすい縁石付近がすべて0.3マイクロシーベルト台、同じく歩道脇で0.2〜0.5マイクロシーベルト台。それらを市内共通の「放射性物質除染マニュアル」に沿って、さらに減らそうという作業です。
私は作業着など一式と持参した長靴を身に付け、竹ぼうきを一本担いで、通学路除染グループと一緒に目的場所へと歩き出しました。
よく晴れて、風が強い、浜通りの初冬らしい朝。道路脇の田んぼでも、作業中の重機やトラクター、人の姿が点々とありました。津波の潮をかぶり、あるいは市内全域のコメ作付自粛のため、放置された田んぼには雑草が伸び、見渡す限りの枯れ野の風景となっていました。多くの担い手の命や家、農業機材が流された後、地元では、より規模の大きな区画への農地整備を通じての農業再建プランも浮かんでいるそうです。来年のための農地復旧向けて、まず始まったのが除草の作業。刈り集められた枯れ草があちこちに山となって積まれていました。
◇
集会所から西にほぼ400メートル。田園地帯の真ん中を貫く通学ルートの道路を、3つの区間に分けての作業が始まりました。私は、スコップを持つ相棒の男性と2人ひと組。歩道と車道の境の縁石沿いにたまり、こびりついた土と雑草の根を、スコップでほじくり出します。その後を竹ぼうきではき、土を一定間隔で集めていきます。落ち葉や木っ端が交じった盛り土は、いったいどれほどの放射性セシウムを含んでいることでしょう。ひとはきするたび、乾いた冷たい風が土ぼこりを巻き上げ、こちらにも降りかかってきます。
途中で一服を入れながら200メートルほども進んだころ、手にはまめができ、体は汗ばみ、くたくた。別の区間を3、4人で片付けてきたグループが合流して、プラスチックの袋に土を詰め込む作業を始め、縁石沿いにはたちまち白い土のうが40袋余りも連なりました。
終了予定の午前11時を30分ほど過ぎたころ、現れたのが「八津尾農園」とドアに書かれたトラック。八津尾さんがハンドルを握り、土のうの回収役を担当していました。歩くくらいのスピードで動くトラックの荷台に、ずっしりと重い土のうを、男たちが「よいしょ」と気合を入れながら積んでいきます。
道路沿いには、津波で浜から流れ着いた漁船がいまだに残り、その脇を、当たり前のように通り過ぎて、別のグループに合流しました。軽トラックに農業用の水のタンクを積み、それを水源にした高圧洗浄機が歩道上の土を勢いよく流しています。
「表面はきれいにできるが、コンクリートやアスファルトの細かい穴に入り込んだ土粒は、なかなか取れないなあ」。操作していた年配の男性が言いました。歩道と小さな橋の継ぎ目に水が飛ぶと、ねぐらを襲われたかのように、大量の泥が噴き出してきました。「なんだ、なんだ。なんぼでも出てくるぞ」。完全に土を除去しきることの難しさ、です。
「さあ、乗っていきなさい」。除染の区間を一通り回って、土のうを回収してきた八津尾さんが、助手席の窓を開けて声を掛けてくれました。荷台には、力仕事を終えて一息、という様子の若手たちが乗っています。作業の最後、土のうを、借り置き場に運んでゆくのでした。
現在の集会所の前を通って向かったのは、八津尾さんの自宅をはじめ多くの家々が流された浜の地域。土台だけ残るかつての集会所の跡でトラックは止まり、ばらばらと飛び降りた6、7人が、土のうを1つ1つ口で数えながら手渡し合い、並べていきます。「全部でいくつあった? 92袋だね」と、八津尾さんが確認し、記録しました。ここはあくまで駆り置き場。計画された区間の除染はこの日だけで終わらず、あらためての協働作業が行われることになりましたが、そのたびに増える土のうの最終処分先はまだ見えていません。
口を覆っていた防塵マスクをやっと外して、見てみるみると、真っ白だった表側は土ぼこりで茶色にすすけていました。それまで付けたこともないマスク装着の理由が、初めて分かりました。
◇
「市役所から連絡があって、萱浜でも、家を再建できる区域の線引き案の説明があるそうです。都合の付く方はできる限り、話し合いに参加してください。行政区に入っていない人たちにも知らせなくては」。除染作業を終えて昼近く、集会所前に再び集った住民たちに、八津尾さんが呼びかけました。復興への都市計画づくりで、津波の浸水地域への住宅再建を行えるようにするか否か、は自治体ごとに論議のある課題になっています。平地の乏しい三陸地方のように高台への集団移転が採られる例、宮城県名取市閖上地区のように地盤かさ上げと多重防御の上での現地再建案を住民自身が選ぶ例もあります。原発事故のために遅れていた南相馬市の復興計画も、ようやく入り口に差し掛かったといえましょう。
八津尾さんによると、萱浜では、行政区に登録された70世帯で、津波の犠牲者が76人に上りました。さらに、近年増えた新しい住民の家やアパートも66世帯あり、そのうち14人が津波で亡くなったそうです。この事実を確かめることも、行政区では時間が掛かりました。原発事故の後、行政区に入っていない人々の避難先をたどるのは難しく、市役所への問い合わせにも「個人情報」が壁になったといいます。「来年2月11日には萱浜地区として、すべての犠牲者の慰霊祭をやりたい」と八津尾さんらは話し合っています。そのためにも早く連絡を取りたいといい、まとめ役としての区長の仕事は難題山積です。
住民たちの前で話をする八津尾さんの後ろには、パンジーやビオラの苗が400鉢ばかりありました。何に使うのかと思っていますと、話の最後、「どうぞ、花の苗を各自、持って帰って、家や仮設の周り、ポットに植えてください。花があるだけで、気持ちも癒されますから」。八津尾さんはこう語り、引き揚げる人々の手には色とりどりの花がありました。それらの花は、「自分自身の農業再開」の一歩として11月から出荷を始めていた苗です。
思い出したのは、ひと月余り前の10月21日。やはり八津尾さんから話を伺って訪ねた、同市鹿島区にある寺内第一仮設住宅での光景でした。その集会所で、「お花の写真スタジオ」という催しが企画されたのです。
八津尾さんが萱浜の人々やボランティアと一緒に7ヘクタールのヒマワリ畑を育て、8月27日、「祈り・絆・希望 ヒマワリに誓う明日への誓い」という交流の祭りを開いた折(前掲ブログ参照)、神奈川県の桜野良充さんという写真家が活動に共鳴し無償の撮影会を行いました。花の写真家として知られ、被災地支援にも歩いている桜野さんが「震災で写真もアルバムもなくした人たちのために、花いっぱいのスタジオを出前し、写真を取りましょう」と提案し、八津尾さんが地元での受け入れに尽力して実現したのでした。
集会所の中には「東京から運んだ」というユリやバラ、カスミソウなどで囲まれたスタジオが設けられ、津波や原発事故のため避難生活を送る高齢者らが次々と「花のフレーム」の写真に納まりました。「金婚式の写真も撮らなかった。これが、2人で写る最後の写真かな。生きているうちに花に埋もれるなんて幸せだ」という80代の夫婦の話を聴きました。翌日も別の仮設住宅で催され、計116組が来場。「花の力」を私も信じたくなりました。
◇
12月2日、吹く風は冬の冷たさを増しました。この日訪ねたのは、八津尾さんの花の苗作りの現場です。3月11日の津波で24棟・計60アール分もの花・野菜苗のハウスが流された後、仕事を再開した先は、原町区の山沿いにある「以前、うちで働いてもらっていたんだ」という親類の農家でした。大きなハウスには、一粒の種から育てたパンジーやビオラの苗が、萱浜集会所で見たものの何十倍ものじゅうたんのように広がっています。
「例年並みの33000鉢を作って、長年つきあいのある地元と白石(宮城県)のホームセンターを中心に毎週出荷しているんだが、全然売れないんだ」と、厳しい表情です。「花を植えようという気持ちがみんな、まだまだ戻っていないのか。あとは、仮設住宅や学校に(無償で)届けたりしているが…」。東京での産直市を紹介され、近々1400鉢を出品する予定があるといいます。「冬の野菜も持っていこうと思う。こちらでは、キャベツが一個1〜10円、ほうれん草も一把10〜20円といったひどい値段しか付かないから」
花の苗は、12月いっぱいが商品としての限度だといい、「残ったら捨てるしかない」。冬を越せず、春を待てず、命を終える花たち。その命1つ1つを、夏のヒマワリのように、枯れ野となった被災地いっぱいに飾ってやりたい。それが「種まく人」の思いでしょう。
「そうだ、また大甕小に届けるか。さあ、行きましょう」と八津尾さんは、鮮やかな黄色のパンジーの苗を計60鉢、かごに詰めました。
小学校の校庭は、授業再開前の大掛かりな除染によって土が入れ替えられ、踏むとふかふかの感触です。ちょうど体育の時間が始まり、青い運動着の20人ほどの児童がボールを蹴りながら飛び出して来ました。ただ、どの子もマスク着用です。「おーい」と、八津尾さんは手を振りながら児童の輪に入ってゆき、一緒にボールと戯れました。とても自然に。
案内された校長室。「もともと、ここは放射線量が低かったけれど、保護者や地元の人たちが熱心に除染作業を手伝ってくださり、今は0.1マイクロシーベルト以下。原町区では一番低いくらい」。平間勝成校長が、区長の八津尾さんに礼を言いました。そして、朗報がありました。「学校に戻った子どもも、増えている。再開時の76人から、今は81人に。3学期には100人を超えそうだ」
南相馬市の小中学校は現在、来春の学級編成や先生の配置数にも関わる、避難先の児童生徒、新入学予定の子どもの家庭の意向調査を行っているそうです。つまり、これから来春にかけて、南相馬市に戻るかどうか―という地元の切実な期待と不安の交じる調査です。
「まだ集計の途中」という平間校長によると、大甕小には、福島市などの県内のほか、仙台、愛知、福井、千葉など全国から返信があり、そのうち「来年4月から戻る」との意向が20人以上から寄せられたといいます。「『戻る予定なし』の回答もいっぱいあるけれど、一番多いのが『迷っている』。生まれたばかりの子どもさんがいるとの理由や、遠くで地元の様子が分からないためか『再来年には』という保留も」。どのくらいの児童が戻っていますか―という保護者からの問い合わせの電話も、校長室によく掛かってくるそうです。
大甕小には、隣接地区の太田小の児童40人も同居していますが、今学期末には本校に戻り、3学期になれば原町三中も授業再開の見通しだとのこと。学校の現場でも少しずつ、日常は戻り始めていました。「うれしいのは、母校で卒業したいという6年生が多くなりそうなこと」。八津尾さんにそう話す校長の表情も明るいものでした。「子どもたちの餅つきをやりたい。今年はいろんなことがあったから、にぎやかに。どうぞ、参加してください」
校舎を出ると、八津尾さんは花壇を眺めました。新潟から支援で贈られたウィンターコスモスの黄色が冬の日差しにまぶしく映え、東京の花屋さんらのNPO「花の力プロジェクト」が寄付し保護者らと一緒に植えたという900ポットのビオラが根付いていました。それまで八津尾さんが土作りをしてきた花壇も、校庭の除染と同時に土を入れ替えられましたが、「また一からボカシ肥料を入れて、土壌改良をやったんだ、。いい花が咲くよ」。そう語って、いとおしそうに土をいじりました。

11月27日朝、萱浜集会所。除染作業に集った住民

歩道の縁石沿いにたまった土を削る
(CafeVita/寺島英弥) この記事は講談社のウェブマガジン「現代ビジネス」にも転載されています。
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