編集室から
ふらっと運営にまつわるあれこれを、スタッフが書いています。
「瓦礫」と「嬉しい」に思う
八巻@ふらっとです。
先にお知らせしたとおり、4月からメルマガを休刊することになりました。さっそく「やめないでほしい」との声もいただいています。皆さんの声にしっかり耳を傾けながら、今後の対応について引き続き話し合っていきますので、ビシバシとご意見くださいませ。よろしくお願いします。
「メルマガを休止する代わりに、スタッフブログの更新頻度を上げませんか」と誰かさんが提案したので(八巻だっけ?<(*´з`)>?)、通常のお知らせに加え、スタッフが持ち回りでこのブログを更新していくことになりました。テーマは特になし(笑)。おそらく仕事上の小話が多くなるのではないかと予想していますが、さて、どうなることやら。
というわけで、僭越ながら「プチ新生スタッフブログ」の口火を切らせていただきます。
==========
スタッフはみな、「ふらっと」の運営以外にもいくつか仕事を抱えています。わたしもいろいろやっており、そのひとつが「河北新報ビューン版」用に「ふらっと」からブログを数本選んで編集し、出稿する作業です。
ビューンは、多彩なジャンルの雑誌や新聞を楽しめる有料アプリ。iPad や iPhone などのスマートフォンで見ることができます。
「河北新報ビューン版」は、当日付の本紙朝夕刊から選んだ記事に、「ふらっと」やオピニオンブログ「オピのおび」のブログを加え、午後5時半すぎに更新しています。
▼わたしが出稿した本文と写真を組んで、体裁を整えているビューンデスク=27日正午
対象となるのは、情報ボランティア@仙台のようなボランティア団体と、東北6県で活躍する「まちかどブロガー」さん28人のブログ。
もちろんブロガーさんの原稿を直すことはしませんが、読者が読みやすいように誤字脱字をチェックしたり、新聞表記に基づいて漢字をひらがなに直したりすることがあります。また、ビューンの場合、読者は日本全国にいますので、市町村名に県名を加える工夫もしています。
ひらがなに直す漢字でもっとも多いのが「瓦礫」。特に震災発生から3カ月ほどは、ボランティアさんやまちかどブロガーさん以外の方もよく話題にしていたワードでした。
全国各地から駆けつけたボランティアさんのおかげで、「瓦礫」の撤去が少しずつ進み始めたころ、ビューン作業上で見かける言葉にも変化があらわれました。
「ボランティア活動を支援してくれる人が増えて『嬉しい』」
「復興イベントを手伝い、たくさんの方々に喜んでもらえて『嬉しい』」
「仮設住宅で暮らす女性たちと作った手芸品がたくさん売れて『嬉しい』」」
「瓦礫」が持つ暗いイメージに反するように、「嬉しい」」という言葉が少しずつ増えていきました。深い悲しみが広がる一方で、ひとすじの光を見つけた人々の思いが表現されているのです。
更新されたブログを読むだけでは、この動きに気がつかなかったはず。地域に生きる人々の生の声、震災を経験した人の本当の声が「ふらっと」にはたくさんこめられています。
新聞記者には拾いきれないようなできごとを、そして当事者だからこそ感じる思いを、全国に向けて発信するお手伝いができて光栄です。ブロガーの皆さんに、わたしたち新聞社が教えてもらうべきことはまだまだたくさんありそうです。
▼きょう27日付「河北新報ビューン版」から。更新したてです。

先にお知らせしたとおり、4月からメルマガを休刊することになりました。さっそく「やめないでほしい」との声もいただいています。皆さんの声にしっかり耳を傾けながら、今後の対応について引き続き話し合っていきますので、ビシバシとご意見くださいませ。よろしくお願いします。
「メルマガを休止する代わりに、スタッフブログの更新頻度を上げませんか」と誰かさんが提案したので(八巻だっけ?<(*´з`)>?)、通常のお知らせに加え、スタッフが持ち回りでこのブログを更新していくことになりました。テーマは特になし(笑)。おそらく仕事上の小話が多くなるのではないかと予想していますが、さて、どうなることやら。
というわけで、僭越ながら「プチ新生スタッフブログ」の口火を切らせていただきます。
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スタッフはみな、「ふらっと」の運営以外にもいくつか仕事を抱えています。わたしもいろいろやっており、そのひとつが「河北新報ビューン版」用に「ふらっと」からブログを数本選んで編集し、出稿する作業です。
ビューンは、多彩なジャンルの雑誌や新聞を楽しめる有料アプリ。iPad や iPhone などのスマートフォンで見ることができます。
「河北新報ビューン版」は、当日付の本紙朝夕刊から選んだ記事に、「ふらっと」やオピニオンブログ「オピのおび」のブログを加え、午後5時半すぎに更新しています。
▼わたしが出稿した本文と写真を組んで、体裁を整えているビューンデスク=27日正午
対象となるのは、情報ボランティア@仙台のようなボランティア団体と、東北6県で活躍する「まちかどブロガー」さん28人のブログ。
もちろんブロガーさんの原稿を直すことはしませんが、読者が読みやすいように誤字脱字をチェックしたり、新聞表記に基づいて漢字をひらがなに直したりすることがあります。また、ビューンの場合、読者は日本全国にいますので、市町村名に県名を加える工夫もしています。
ひらがなに直す漢字でもっとも多いのが「瓦礫」。特に震災発生から3カ月ほどは、ボランティアさんやまちかどブロガーさん以外の方もよく話題にしていたワードでした。
全国各地から駆けつけたボランティアさんのおかげで、「瓦礫」の撤去が少しずつ進み始めたころ、ビューン作業上で見かける言葉にも変化があらわれました。
「ボランティア活動を支援してくれる人が増えて『嬉しい』」
「復興イベントを手伝い、たくさんの方々に喜んでもらえて『嬉しい』」
「仮設住宅で暮らす女性たちと作った手芸品がたくさん売れて『嬉しい』」」
「瓦礫」が持つ暗いイメージに反するように、「嬉しい」」という言葉が少しずつ増えていきました。深い悲しみが広がる一方で、ひとすじの光を見つけた人々の思いが表現されているのです。
更新されたブログを読むだけでは、この動きに気がつかなかったはず。地域に生きる人々の生の声、震災を経験した人の本当の声が「ふらっと」にはたくさんこめられています。
新聞記者には拾いきれないようなできごとを、そして当事者だからこそ感じる思いを、全国に向けて発信するお手伝いができて光栄です。ブロガーの皆さんに、わたしたち新聞社が教えてもらうべきことはまだまだたくさんありそうです。
▼きょう27日付「河北新報ビューン版」から。更新したてです。
今日は晴天、お花見オフ会日和だ!
こんにちは(^O^)
まさかの登場2回目、岩崎真実@編集スタッフです。
今日の仙台は日差しがぽっかぽかでいいお天気です。春がそこまで来ているような陽気です。
例えるなら、遊ぶ約束をした遠方に住む友達が「今高速降りたんだけど、渋滞に捕まっちゃって、そっちへ着くのにあと30分くらいかかるよ潤オ。ごめんね!」と、携帯電話で連絡してきた…ってくらいに、春が近付いているような気がします。(え?ちょっと表現が分かりづらい?)
いやー、こんな日は陽気を外で感じながら、美味しい食べ物をつまんで日頃なかなかお話する機会がない人と会えたらなぁ…。
あっ!!
もうお気づきのあなたも、まだ「何のこっちゃ?」と思ってるあなたも!
今日は「ふらっとお花見オフ会」の日ですよ(●´ω`●)
4月17日は「ふらっと」のお誕生日!それに先駆け本日13時から、青葉区西公園の一角でオフ会やります!
ブルーシートの準備はバッチリ☆あとは食べ物・飲み物が揃えば完璧です!!

スタッフ一同、皆さんのお越しをお待ちしてまーす(*^-^*)
【写真はオフ会会場の現在の様子です。スタッフが朝から交代で場所取りしてます。公園内でも数少ない、花が開いている桜の木の前をキープしております】
まさかの登場2回目、岩崎真実@編集スタッフです。
今日の仙台は日差しがぽっかぽかでいいお天気です。春がそこまで来ているような陽気です。
例えるなら、遊ぶ約束をした遠方に住む友達が「今高速降りたんだけど、渋滞に捕まっちゃって、そっちへ着くのにあと30分くらいかかるよ潤オ。ごめんね!」と、携帯電話で連絡してきた…ってくらいに、春が近付いているような気がします。(え?ちょっと表現が分かりづらい?)
いやー、こんな日は陽気を外で感じながら、美味しい食べ物をつまんで日頃なかなかお話する機会がない人と会えたらなぁ…。
あっ!!
もうお気づきのあなたも、まだ「何のこっちゃ?」と思ってるあなたも!
今日は「ふらっとお花見オフ会」の日ですよ(●´ω`●)
4月17日は「ふらっと」のお誕生日!それに先駆け本日13時から、青葉区西公園の一角でオフ会やります!
ブルーシートの準備はバッチリ☆あとは食べ物・飲み物が揃えば完璧です!!
スタッフ一同、皆さんのお越しをお待ちしてまーす(*^-^*)
【写真はオフ会会場の現在の様子です。スタッフが朝から交代で場所取りしてます。公園内でも数少ない、花が開いている桜の木の前をキープしております】
お花見、お待ちしてます!!
こんにちは!!
この4月から、ふらっと編集室へ低気圧と共にやってきた岩崎真実@編集スタッフです。どうぞよろしくお願い致しますm(_ _)m
先日告知しました、4月17日のふらっと開設5周年を記念して行われる「ふらっとお花見オフ会」。スタッフ一同、リアルでみなさまとお会いできる日が早く来ないかと、首を長くして待っております。
ところで今回のオフ会は、食べ物・飲み物は参加者の持ち込み形式で行います。
ん?ということは、スタッフも何か一品くらいは持ってくるんですよね…?
そんなわけで、突撃インタビュー☆
【質問!!みなさんはお花見に何を持っていくんですか?】
「花見に持っていくもの?一升瓶しかねぇべや。伯楽星だ、伯楽星」
「うーん、やっぱり日本酒かなぁ…。栗駒山なんでどうでしょう」
「酒!!純米吟醸で!!銘柄は当日までのお楽しみだよ〜ん♪」
3連続で「お酒(しかも日本酒)」との回答がっっっ!!Σ(・ロ・;)
うそーん…。
「あ、それなら僕は黒ウーロン茶を家で煮出して持っていくよ。あとスパム(肉の缶詰)も持っていこうかな」
「笹かまぼことチーズ。ワインも欲しくなるね(笑)」
「柿ピーの、お徳用パック(ドヤァ…)」
おぉ!!おつまみとソフトドリンクが揃いました。それにしても、黒ウーロン茶って渋いですね。私も飲みたいです(*^^*)
「え!?決めてなかったよ!!何を持っていこう…?じゃあ…じゃあ…、うーんと…、『笑顔』を差し入れしますよ。スマイル」
なんとっ!?食べ物じゃないものまで!?
参加者がお腹いっぱいになれるくらいのスマイル、期待してますよー(笑)
あれ?そういえば私も何を持っていくか決めていませんでした。うーん…、じゃあ「手料理」を頑張って持っていきたいと思います。何が出てくるかはお楽しみです。ふっふっふ…。
こんな感じの愉快な?ふらっと編集室スタッフが、15日に仙台市青葉区の西公園でお待ちしております。みなさまからの「こでらんねぇ」食べ物・飲み物の差し入れも大歓迎!!
どうぞ奮ってご参加ください。
お花見の詳細はこちら。
この4月から、ふらっと編集室へ低気圧と共にやってきた岩崎真実@編集スタッフです。どうぞよろしくお願い致しますm(_ _)m
先日告知しました、4月17日のふらっと開設5周年を記念して行われる「ふらっとお花見オフ会」。スタッフ一同、リアルでみなさまとお会いできる日が早く来ないかと、首を長くして待っております。
ところで今回のオフ会は、食べ物・飲み物は参加者の持ち込み形式で行います。
ん?ということは、スタッフも何か一品くらいは持ってくるんですよね…?
そんなわけで、突撃インタビュー☆
【質問!!みなさんはお花見に何を持っていくんですか?】
「花見に持っていくもの?一升瓶しかねぇべや。伯楽星だ、伯楽星」
「うーん、やっぱり日本酒かなぁ…。栗駒山なんでどうでしょう」
「酒!!純米吟醸で!!銘柄は当日までのお楽しみだよ〜ん♪」
3連続で「お酒(しかも日本酒)」との回答がっっっ!!Σ(・ロ・;)
うそーん…。
「あ、それなら僕は黒ウーロン茶を家で煮出して持っていくよ。あとスパム(肉の缶詰)も持っていこうかな」
「笹かまぼことチーズ。ワインも欲しくなるね(笑)」
「柿ピーの、お徳用パック(ドヤァ…)」
おぉ!!おつまみとソフトドリンクが揃いました。それにしても、黒ウーロン茶って渋いですね。私も飲みたいです(*^^*)
「え!?決めてなかったよ!!何を持っていこう…?じゃあ…じゃあ…、うーんと…、『笑顔』を差し入れしますよ。スマイル」
なんとっ!?食べ物じゃないものまで!?
参加者がお腹いっぱいになれるくらいのスマイル、期待してますよー(笑)
あれ?そういえば私も何を持っていくか決めていませんでした。うーん…、じゃあ「手料理」を頑張って持っていきたいと思います。何が出てくるかはお楽しみです。ふっふっふ…。
こんな感じの愉快な?ふらっと編集室スタッフが、15日に仙台市青葉区の西公園でお待ちしております。みなさまからの「こでらんねぇ」食べ物・飲み物の差し入れも大歓迎!!
どうぞ奮ってご参加ください。
お花見の詳細はこちら。
メルマガ、休刊します!
ふらっと会員のみなさまがたに毎月第1金曜日、編集室から配信していたメルマガを、休刊することにいたしました。
ふらっとは今月17日、開設から5年の節目を迎えます。メルマガは開設当初から毎週1回配信し、2010年8月からは月刊に切り替えました。2012年3月2日配信で通算185号を数えました。
ソーシャルメディアを取り巻くネット環境が日進月歩で変わりゆく今、メルマガの存在意義も大きく変わった、と判断したのが休刊の理由のひとつです。編集室と会員のみなさまがたとは、これまで通りブログ「スタッフのつぶやき」や、各ブログへのコメント、コミュニティーへの積極参加という形でより親密度を増していきたいと考えています。
メルマガを楽しみにしてくださっていた方々には、一方的な通告のようで申し訳ありませんが、ご了承願います。
より良い地域SNSの構築を目指し、編集室スタッフ一同、使い勝手の良さやコンテンツの充実などを知恵を絞って考えております。今後ともお引き立てのほどよろしくお願いいたします。
(相原@ふらっと)
ふらっとは今月17日、開設から5年の節目を迎えます。メルマガは開設当初から毎週1回配信し、2010年8月からは月刊に切り替えました。2012年3月2日配信で通算185号を数えました。
ソーシャルメディアを取り巻くネット環境が日進月歩で変わりゆく今、メルマガの存在意義も大きく変わった、と判断したのが休刊の理由のひとつです。編集室と会員のみなさまがたとは、これまで通りブログ「スタッフのつぶやき」や、各ブログへのコメント、コミュニティーへの積極参加という形でより親密度を増していきたいと考えています。
メルマガを楽しみにしてくださっていた方々には、一方的な通告のようで申し訳ありませんが、ご了承願います。
より良い地域SNSの構築を目指し、編集室スタッフ一同、使い勝手の良さやコンテンツの充実などを知恵を絞って考えております。今後ともお引き立てのほどよろしくお願いいたします。
(相原@ふらっと)
新『3.11「絆」』サイトです
東日本大震災から1年が過ぎ、再生へ向けたさまざまな動きに対応するため、『3.11「絆」手を携え、前に!』のサイトを本日30日、プチリニューアルしました。
http://flat.kahoku.co.jp/sub/volunteer/index.htm
煩雑になったトップページの情報を整理するとともに、これまで中心的に発信してきたボランティア情報の登録団体を県内外に増強します。県名や活動内容から検索できるようになりました。ゆくゆくは市町村名から検索できるなどほしい情報を見やすく分類していくつもりです。
さらに、被災地からの声を伝える役割も担いたいと考えています。仮設住宅から発信している「かわら版」のコーナーなどは今後も継続します。ブログなどで情報発信しているものも含め、被災地の状況や、被災したからこそ分かる災害時の教訓なども提供できる場になれば幸いです。
今後も被災地の動きを見ながら、随時リニューアルしていきます。成長し続ける『3.11「絆」』を、よろしくお願いいたいます。
http://flat.kahoku.co.jp/sub/volunteer/index.htm
煩雑になったトップページの情報を整理するとともに、これまで中心的に発信してきたボランティア情報の登録団体を県内外に増強します。県名や活動内容から検索できるようになりました。ゆくゆくは市町村名から検索できるなどほしい情報を見やすく分類していくつもりです。
さらに、被災地からの声を伝える役割も担いたいと考えています。仮設住宅から発信している「かわら版」のコーナーなどは今後も継続します。ブログなどで情報発信しているものも含め、被災地の状況や、被災したからこそ分かる災害時の教訓なども提供できる場になれば幸いです。
今後も被災地の動きを見ながら、随時リニューアルしていきます。成長し続ける『3.11「絆」』を、よろしくお願いいたいます。
お花見です!!
先週前触れしたお花見の正式なお知らせです。
ふらっと開設5周年(4月17日)を記念した、2年ぶりのオフ会です。会員の方々はもちろん、友人知人、ご家族、恋人さんら多数お誘いのうえ、ふるってご参加ください。
まずは、晴天を祈るばかりです。
日 時:4月15日(日曜日)午後1時〜午後3時半ごろ。
場 所:仙台市青葉区の西公園内。
参加費:無料。飲み物、食べ物各自持ち込み形式にします。お花見会場には、各種屋台が出ますので、現地調達できます!
※雨天の場合は、西公園近くの和風居酒屋「和醸良酒 ○たけ」さんを会場に、同じ時間帯で開催します。この場合、会費2000円とします。場所代と飲食代に充てます。もちろん、持ち込み大歓迎!っというか、ぜひぜひ、大いに持ち込んでください(^_^;)。
注意事項:当日、晴天に恵まれ無事屋外でお花見ができた場合、午後4時半ごろ〜午後7時の日程で、「○たけ」さんにて二次会を予定しています。会費2000円です。
「○たけ」さんのHPはこちらです。
花見会場での酒席場所は、当日朝から“席取り”を担当するふらっと編集室スタッフの気合いと頑張り、そして運によってかなり流動的です。場所を確保したら即、ビニールシートを張って、旗でも持って、ちょっとばかしお酒をなめつつみなさまがたのお越しをお待ちしております。
場合によってはかなりの人数に膨らむ可能性もありますので、ご自身用の小さなビニールシートもご持参いただければ助かります。
当日の駆け込み参加は大歓迎です。事前にある程度の人数を把握しておきたいので、編集室宛てに4月13日(金曜日)正午までメールをくださいませ。
アドレス:flat@po.kahoku.co.jp
問い合わせ電話:022−211−1158(デジタル編集部)
雨天時の対応などで連絡する場合があります。出席希望のメールには、名前(ニックネームでも構いません)のほか携帯電話の番号かメールアドレスを添えてください。
ではでは、よろしくお願いします。
なお、宴会芸披露をご希望の方は、当日の場の雰囲気で自己判断くださいませ(^O^)。
多くの方々にお会いできることを、スタッフ一同心から楽しみにしております。
(相原@ふらっと)

写真説明:2年前の2010年4月18日に開催した、ふらっと3周年記念花見オフ会。この時は約40人の方々が集まりました。
ふらっと開設5周年(4月17日)を記念した、2年ぶりのオフ会です。会員の方々はもちろん、友人知人、ご家族、恋人さんら多数お誘いのうえ、ふるってご参加ください。
まずは、晴天を祈るばかりです。
日 時:4月15日(日曜日)午後1時〜午後3時半ごろ。
場 所:仙台市青葉区の西公園内。
参加費:無料。飲み物、食べ物各自持ち込み形式にします。お花見会場には、各種屋台が出ますので、現地調達できます!
※雨天の場合は、西公園近くの和風居酒屋「和醸良酒 ○たけ」さんを会場に、同じ時間帯で開催します。この場合、会費2000円とします。場所代と飲食代に充てます。もちろん、持ち込み大歓迎!っというか、ぜひぜひ、大いに持ち込んでください(^_^;)。
注意事項:当日、晴天に恵まれ無事屋外でお花見ができた場合、午後4時半ごろ〜午後7時の日程で、「○たけ」さんにて二次会を予定しています。会費2000円です。
「○たけ」さんのHPはこちらです。
花見会場での酒席場所は、当日朝から“席取り”を担当するふらっと編集室スタッフの気合いと頑張り、そして運によってかなり流動的です。場所を確保したら即、ビニールシートを張って、旗でも持って、ちょっとばかしお酒をなめつつみなさまがたのお越しをお待ちしております。
場合によってはかなりの人数に膨らむ可能性もありますので、ご自身用の小さなビニールシートもご持参いただければ助かります。
当日の駆け込み参加は大歓迎です。事前にある程度の人数を把握しておきたいので、編集室宛てに4月13日(金曜日)正午までメールをくださいませ。
アドレス:flat@po.kahoku.co.jp
問い合わせ電話:022−211−1158(デジタル編集部)
雨天時の対応などで連絡する場合があります。出席希望のメールには、名前(ニックネームでも構いません)のほか携帯電話の番号かメールアドレスを添えてください。
ではでは、よろしくお願いします。
なお、宴会芸披露をご希望の方は、当日の場の雰囲気で自己判断くださいませ(^O^)。
多くの方々にお会いできることを、スタッフ一同心から楽しみにしております。
(相原@ふらっと)
写真説明:2年前の2010年4月18日に開催した、ふらっと3周年記念花見オフ会。この時は約40人の方々が集まりました。
お花見オフ会、企画中です!
みなさま、こんにちわ。
あれから1年が過ぎ、再び春がめぐってきました。
4月17日、「ふらっと」は満5歳の誕生日を迎えます。
節目の年、桜の花をめでながら、お酒や料理を楽しみ、みなさんと一緒にワイワイガヤガヤにぎやかに楽しみたいなぁ〜と思っております。
ふらっと編集室が企画する、2年ぶりのお花見オフ会でございます。
今決まっているのは、4月15日(日曜)お昼ごろ開催する、ということだけです(^_^;)
ですが、まだ御予定立てていらっしゃらないみなさま、新たに予定を入れてくださいませ。
周りの友人知人家族の方々らをお誘いのうえ、ぜひぜひご参加ください。
詳細は3月中にこのブログで告知いたします。
ではでは。
直接お会いできることを、スタッフ一同、心待ちにしております(^O^)。
(相原@ふらっと)
あれから1年が過ぎ、再び春がめぐってきました。
4月17日、「ふらっと」は満5歳の誕生日を迎えます。
節目の年、桜の花をめでながら、お酒や料理を楽しみ、みなさんと一緒にワイワイガヤガヤにぎやかに楽しみたいなぁ〜と思っております。
ふらっと編集室が企画する、2年ぶりのお花見オフ会でございます。
今決まっているのは、4月15日(日曜)お昼ごろ開催する、ということだけです(^_^;)
ですが、まだ御予定立てていらっしゃらないみなさま、新たに予定を入れてくださいませ。
周りの友人知人家族の方々らをお誘いのうえ、ぜひぜひご参加ください。
詳細は3月中にこのブログで告知いたします。
ではでは。
直接お会いできることを、スタッフ一同、心待ちにしております(^O^)。
(相原@ふらっと)
【いま、伝えたいこと〜寄せられたメッセージ・6】
八巻@ふらっとです。
山形県在住のベースボールさんから、震災発生日以降の体験記を寄せていただきましたのでご紹介します。
* * * * * * *
2011年3月11日、通院で仙台市に行っていて、被災した。
診察が終わり、仙台駅前行きのバスに乗ろうと、待っていたがなかなか来ない。運命の午後2時46分、携帯の異常音で事前に察知したが、それから1分も経たないうちに「グラグラッ!」と揺れた。「地震!」という間もなく、立っていられないほど揺れ始めた。実際には2〜3分ほどだったのかもしれないが、私にはもっと長く感じた。
おさまって2分ほどでバスが来た。(連絡しなければ…とにかく仙台駅に向かおう)とバスに乗りこんだが、JR仙山線東照宮駅前の踏切が閉じたままになっており、踏切の前で降り、徒歩で仙台駅に向かうことになった。
その日は仙台に滞在する予定でいたため、予約してあったホテルへ…。4時を回った頃だったと思うが、その時点では宿泊できるか見通しが立たないとのこと。
一度ホテルを出て、震災前に処方箋をFAXした薬局へ。薬の在庫がなく、いつ入るか不明との事、急を要するようなものでもないため、入り次第送ってもらえるようにお願いして薬局を出た。
携帯電話のバッテリーもなくなる。開いている店舗もわずかで簡易充電器を求め、仙台駅東口へ…。やはりどこにも売ってない。あきらめて、ホテルへ戻ったところ、宿泊可能とのこと。ホテル側でラジオをつけてくれていたため、しばらくロビーで過ごし、食べ物はないため薬だけ飲み就寝。
・震災2日目
10時30分ホテルを後にした。高速バスの運行は見通しが立たないとのこと、さて困った…薬がもうない。ラジオでJR仙台病院が軽症者を受け入れるって言っていたことを思い出しJR仙台病院にいき、山形から来て帰ることが出来なくなったこと、薬を持ってきていないことを相談したところ、救急外来内科で投薬してくれるとのこと、症状の説明等と、軽く診察を受けて投薬してもらった。
宮城野区にあるNTTDoCoMo東北ビルの前に行ったところ、電源を供給してくれていて、何とか携帯の充電は出来た。その後、友達のマンションへ向かったところ、避難場所が書いてある紙が貼ってあった。それに書いてあった避難場所「仙台市立東六番丁小学校」をさがし、向かった。
仙台市立東六番丁小学校に着いたとき、配給の最中だった。おにぎり1個だったが、温かいおにぎりで、ありがたかった。たまたま持っていた500mlのペットボトルに水ももらえた。
一晩をその小学校で過ごす。左隣の方は静岡、右隣の方は福島の方だった。東六番丁小学校は、JR仙台駅に近いためか、私を含め県外人が多かった。
・震災3日目
8時頃バスの問い合わせをしようと山交バス山形営業所に何度か電話し、やっとつながり、山形〜仙台線が運行していることを確認。一晩お世話になった静岡の方にご挨拶し、東六番丁小学校をあとにした。午後1時頃に山形へ帰ってきた。
今回の震災で被災し、避難所で寝るという経験をした。簡易充電器と、常備薬は持って歩かないといけないということを学んだ。
(2011年3月記)
・震災から3ヶ月が過ぎて…
東日本大震災から早くも3か月が過ぎた。あの日の恐怖は今も胸から離れない。震災後ライフラインがストップしたのは、痛かった。特に、ガソリンの供給が滞ったのには困った。夜通しスタンド付近に車を止めておいたこともある。3台前くらいで「売り切れ 次はいつ入るか不明」と言われたこともある。
・原発事故そして避難者の方々
福島第一原子力発電所の事故で、山形にも避難者の方々が来ている。避難者の方の中には供給された食べ物に文句を言う人まで出てきた。イライラが募っているのはよく分かるが、供給しているこちらも暇ではないわけで…。結論としては、「材料の供給はしますので自炊してください」ということになったらしい。ある意味、当然の結果と言えばそうなのだろう。
(2011年6月追記)
・あれから1年・・・
今も尚、通院等で月に2回は仙台市へ行っている。今年1月末、震災後初めて仙台空港へ向かった。あの日の津波の高さを示すメモリがはってあった。2月、仙台港フェリーターミナルへ、震災後初めて海のそばまで行った。それまで、怖くて行けなかったのだ。
(2012年3月追記)
最後に、あの日、救急で診察をしてくれたJR仙台病院の皆さん、避難させてもらった仙台市立東六番丁小学校の皆さん、避難してきていた地域住民の方々、仙台市・宮城県当局の方々、本当にありがとうございました。
これから復旧までは相当な時間を要すると思います。1日でも早く復旧されることを願っています。
山形県在住のベースボールさんから、震災発生日以降の体験記を寄せていただきましたのでご紹介します。
* * * * * * *
2011年3月11日、通院で仙台市に行っていて、被災した。
診察が終わり、仙台駅前行きのバスに乗ろうと、待っていたがなかなか来ない。運命の午後2時46分、携帯の異常音で事前に察知したが、それから1分も経たないうちに「グラグラッ!」と揺れた。「地震!」という間もなく、立っていられないほど揺れ始めた。実際には2〜3分ほどだったのかもしれないが、私にはもっと長く感じた。
おさまって2分ほどでバスが来た。(連絡しなければ…とにかく仙台駅に向かおう)とバスに乗りこんだが、JR仙山線東照宮駅前の踏切が閉じたままになっており、踏切の前で降り、徒歩で仙台駅に向かうことになった。
その日は仙台に滞在する予定でいたため、予約してあったホテルへ…。4時を回った頃だったと思うが、その時点では宿泊できるか見通しが立たないとのこと。
一度ホテルを出て、震災前に処方箋をFAXした薬局へ。薬の在庫がなく、いつ入るか不明との事、急を要するようなものでもないため、入り次第送ってもらえるようにお願いして薬局を出た。
携帯電話のバッテリーもなくなる。開いている店舗もわずかで簡易充電器を求め、仙台駅東口へ…。やはりどこにも売ってない。あきらめて、ホテルへ戻ったところ、宿泊可能とのこと。ホテル側でラジオをつけてくれていたため、しばらくロビーで過ごし、食べ物はないため薬だけ飲み就寝。
・震災2日目
10時30分ホテルを後にした。高速バスの運行は見通しが立たないとのこと、さて困った…薬がもうない。ラジオでJR仙台病院が軽症者を受け入れるって言っていたことを思い出しJR仙台病院にいき、山形から来て帰ることが出来なくなったこと、薬を持ってきていないことを相談したところ、救急外来内科で投薬してくれるとのこと、症状の説明等と、軽く診察を受けて投薬してもらった。
宮城野区にあるNTTDoCoMo東北ビルの前に行ったところ、電源を供給してくれていて、何とか携帯の充電は出来た。その後、友達のマンションへ向かったところ、避難場所が書いてある紙が貼ってあった。それに書いてあった避難場所「仙台市立東六番丁小学校」をさがし、向かった。
仙台市立東六番丁小学校に着いたとき、配給の最中だった。おにぎり1個だったが、温かいおにぎりで、ありがたかった。たまたま持っていた500mlのペットボトルに水ももらえた。
一晩をその小学校で過ごす。左隣の方は静岡、右隣の方は福島の方だった。東六番丁小学校は、JR仙台駅に近いためか、私を含め県外人が多かった。
・震災3日目
8時頃バスの問い合わせをしようと山交バス山形営業所に何度か電話し、やっとつながり、山形〜仙台線が運行していることを確認。一晩お世話になった静岡の方にご挨拶し、東六番丁小学校をあとにした。午後1時頃に山形へ帰ってきた。
今回の震災で被災し、避難所で寝るという経験をした。簡易充電器と、常備薬は持って歩かないといけないということを学んだ。
(2011年3月記)
・震災から3ヶ月が過ぎて…
東日本大震災から早くも3か月が過ぎた。あの日の恐怖は今も胸から離れない。震災後ライフラインがストップしたのは、痛かった。特に、ガソリンの供給が滞ったのには困った。夜通しスタンド付近に車を止めておいたこともある。3台前くらいで「売り切れ 次はいつ入るか不明」と言われたこともある。
・原発事故そして避難者の方々
福島第一原子力発電所の事故で、山形にも避難者の方々が来ている。避難者の方の中には供給された食べ物に文句を言う人まで出てきた。イライラが募っているのはよく分かるが、供給しているこちらも暇ではないわけで…。結論としては、「材料の供給はしますので自炊してください」ということになったらしい。ある意味、当然の結果と言えばそうなのだろう。
(2011年6月追記)
・あれから1年・・・
今も尚、通院等で月に2回は仙台市へ行っている。今年1月末、震災後初めて仙台空港へ向かった。あの日の津波の高さを示すメモリがはってあった。2月、仙台港フェリーターミナルへ、震災後初めて海のそばまで行った。それまで、怖くて行けなかったのだ。
(2012年3月追記)
最後に、あの日、救急で診察をしてくれたJR仙台病院の皆さん、避難させてもらった仙台市立東六番丁小学校の皆さん、避難してきていた地域住民の方々、仙台市・宮城県当局の方々、本当にありがとうございました。
これから復旧までは相当な時間を要すると思います。1日でも早く復旧されることを願っています。
【いま、伝えたいこと〜寄せられたメッセージ・5】
こんにちは、畠山@ふらっとです。
きょうは少々番外篇になるかもしれませんが、震災後、被災地の支援活動で知り合った方から、私宛てにメールでお送りいただいた内容を紹介させていただきます。
※ご本人の了解のもと、匿名で一部内容を変更し、皆さまにもお伝えさせていただきます。
* * * * * * *
<2012年3月9日に私宛てにいただいた、東京在住のAさんからのメールより>
3.11が近づくにつれてNHKでは津波で引き裂かれた人たちの一人一人と向き合う番組を流してくれています。胸が痛みます。被災した企業の再建を応援する市民ファンドのひとつ「セキュリテ被災地応援ファンド」からの情報に力づけられる一方で、仕事ができれば良いだけの人達だった人、周りの手助けをしてきた人たちが、だんだんと嗜癖(しへき)のスパイラルに足元を奪われたり、どうにもならない現実に自己憐憫(じこれんびん)の連鎖に陥ったり、生きがいだった手助けの相手を失った事で自己の中心を失ってしまったり。これは大変なことだと思っています。
「よりどころ」を失う事ぐらい大変なことはないですよね。
でも、NHKの取材が素晴らしいなと思ったのは、説得するでもなく、励ますでもなく、連れ出すのでもなく、静かに語るまで待ち、寄り添い続けようとする姿勢です。実はみな、吐き出したい言葉までが瓦礫(がれき)で詰まってギュウギュウなんですよね。
だから少しずつでも言葉で話している内に、次第に自分の利点と欠点を見出していくきっかけをつかむ。
僕は、丁度ワーカホリックという依存症のどん底を経験し、回復し社会に戻ってくる最後の段階で3.11を経験しました。回復までの治療やリハビリ、自助グループでのミーティングでは、様々な依存症の人たちやダルクなどの中間施設で頑張っている人たちと沢山知り合う事が出来ました。
共通して何らかの生きづらさを持ったままどうにもならなくなった人たちが、お互いの問題を出しあう中から新しい生き方を見つけて歩みだしていました。
だから、というわけではないのですが、及善商店さん(南三陸)、ヤマウチさん(南三陸)、アンカーコーヒーさん(気仙沼)、みなさんの再生メッセージが僕の回復プロセスにも有効に作用するメッセージだった、という経験でした。
これは多分、どん底から、何を棚上げして足元を見えるようにしたら、本来の自分の姿と歩むべき道=前が開けたのか、というプロセスなんだと思うんですよね。健康な世界だとPDCAのサイクルが問題なく回るわけでしょうけれども、一旦そのプロセスが壊れたり、大きなショックでメンタルな部分がへこんでしまったりすれば、円が円ではなくなりますから当然スーッとはいかなくなります。
一人でも多くの人が、スピリチュアルな回復をさまたげる「心の津波」に巻き込まれないようにしたいものですね。人をコントロールすることはできないですが、希望を失ってしまっている事と絶望することとの見分けがついていないんだと思うんですよ。それを自分で気づくまで寄り添い話を聞き続ける寛容さと待つことの勇気が必要なのかもしれません。
皆、自分でできていたのに出来ない、っていう事へどれだけ厳しい目が注がれているか、自分達が注いでいるから余計にその目が自分に向かうんだと思います。
自分もそうでした。スティグマとかトラウマとか概念をあてれば簡単でしょうが、飲んで話しても、酔いで避けて通った分現実とのギャップが苦しめてしまい、余計に自分で自分の問題を大きくしていってしまう。ついには、この世の中が悪いんだ、自分がもっとダメなのだ、という連鎖が続いてしまう。
僕はそうした強迫性を仕事に向けてしまった結果、健康増進やストレス解消という何でもない行動までもが自分の強迫的な行動を正当化させていく道具にしてしまい、あらゆるサプリメントや健康器具、医薬品を買い漁ったりするようになっていき、「体調が崩れたら医者へいく」という自然な行動を除外し、ネットで買った医薬品を大量に飲み続けながら仕事に没頭することで「おそれ」から逃げていました。
その時の精神状態や思考のありよう、行動や妄想、末期のアルコール依存者や薬物依存者と全く変わりませんでした。彼らに仲間を見出し、経験と希望を分かち合ってもらった時、初めて転機が訪れました。
一番手助けをしてくれたダルクの人たちとの出会いのお陰で、回復の12ステップというものを実践しはじめました。
東北のみなさんが苦労しながら自然と向き合ってきた歴史があればこその優しさ。この財産があればきっと出来るんじゃないかと思うようになっています。
自分が役に立てる時がきっとある。でも、できることなら依存の事で役立たない方がいいなとも思っています。アルコールの問題が表面化するのはおそらく10年〜20年後でしょう。ダルクは薬物で破産したり逮捕されたりする状態を繰り返すことを底つき(ランディング)と言っていますが、「底の深さは自分がどこまで落ちる事を許すかにかかっている。」「底に通じる道路から降りる事ができた」人になろう。
回復する価値のある人間として本来の自分を見出すまで「待つ」プログラムをしているんですね。どん底まで否認してきた自分からみればうらやましかったですね。素晴らしい再生プログラムだと思います。
そんな事を自分につながる問題として笹かまやおさかなを取り寄せながら考えています。
* * * * * * *
◎被災地から離れた地域でも、震災を通じて心を痛めている方がいらっしゃいます。Aさんのように、被災地の人と交流を続け、作った人の顔が見える商品を食べることでつながっていることが確認でき、安心することがあることをあらためて知りました。そうした楽しく学べる交流の場を、継続してさらに作っていきたいと感じました。Aさん、私にとっても気づきと学びが多い話を、ありがとうございました。
きょうは少々番外篇になるかもしれませんが、震災後、被災地の支援活動で知り合った方から、私宛てにメールでお送りいただいた内容を紹介させていただきます。
※ご本人の了解のもと、匿名で一部内容を変更し、皆さまにもお伝えさせていただきます。
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<2012年3月9日に私宛てにいただいた、東京在住のAさんからのメールより>
3.11が近づくにつれてNHKでは津波で引き裂かれた人たちの一人一人と向き合う番組を流してくれています。胸が痛みます。被災した企業の再建を応援する市民ファンドのひとつ「セキュリテ被災地応援ファンド」からの情報に力づけられる一方で、仕事ができれば良いだけの人達だった人、周りの手助けをしてきた人たちが、だんだんと嗜癖(しへき)のスパイラルに足元を奪われたり、どうにもならない現実に自己憐憫(じこれんびん)の連鎖に陥ったり、生きがいだった手助けの相手を失った事で自己の中心を失ってしまったり。これは大変なことだと思っています。
「よりどころ」を失う事ぐらい大変なことはないですよね。
でも、NHKの取材が素晴らしいなと思ったのは、説得するでもなく、励ますでもなく、連れ出すのでもなく、静かに語るまで待ち、寄り添い続けようとする姿勢です。実はみな、吐き出したい言葉までが瓦礫(がれき)で詰まってギュウギュウなんですよね。
だから少しずつでも言葉で話している内に、次第に自分の利点と欠点を見出していくきっかけをつかむ。
僕は、丁度ワーカホリックという依存症のどん底を経験し、回復し社会に戻ってくる最後の段階で3.11を経験しました。回復までの治療やリハビリ、自助グループでのミーティングでは、様々な依存症の人たちやダルクなどの中間施設で頑張っている人たちと沢山知り合う事が出来ました。
共通して何らかの生きづらさを持ったままどうにもならなくなった人たちが、お互いの問題を出しあう中から新しい生き方を見つけて歩みだしていました。
だから、というわけではないのですが、及善商店さん(南三陸)、ヤマウチさん(南三陸)、アンカーコーヒーさん(気仙沼)、みなさんの再生メッセージが僕の回復プロセスにも有効に作用するメッセージだった、という経験でした。
これは多分、どん底から、何を棚上げして足元を見えるようにしたら、本来の自分の姿と歩むべき道=前が開けたのか、というプロセスなんだと思うんですよね。健康な世界だとPDCAのサイクルが問題なく回るわけでしょうけれども、一旦そのプロセスが壊れたり、大きなショックでメンタルな部分がへこんでしまったりすれば、円が円ではなくなりますから当然スーッとはいかなくなります。
一人でも多くの人が、スピリチュアルな回復をさまたげる「心の津波」に巻き込まれないようにしたいものですね。人をコントロールすることはできないですが、希望を失ってしまっている事と絶望することとの見分けがついていないんだと思うんですよ。それを自分で気づくまで寄り添い話を聞き続ける寛容さと待つことの勇気が必要なのかもしれません。
皆、自分でできていたのに出来ない、っていう事へどれだけ厳しい目が注がれているか、自分達が注いでいるから余計にその目が自分に向かうんだと思います。
自分もそうでした。スティグマとかトラウマとか概念をあてれば簡単でしょうが、飲んで話しても、酔いで避けて通った分現実とのギャップが苦しめてしまい、余計に自分で自分の問題を大きくしていってしまう。ついには、この世の中が悪いんだ、自分がもっとダメなのだ、という連鎖が続いてしまう。
僕はそうした強迫性を仕事に向けてしまった結果、健康増進やストレス解消という何でもない行動までもが自分の強迫的な行動を正当化させていく道具にしてしまい、あらゆるサプリメントや健康器具、医薬品を買い漁ったりするようになっていき、「体調が崩れたら医者へいく」という自然な行動を除外し、ネットで買った医薬品を大量に飲み続けながら仕事に没頭することで「おそれ」から逃げていました。
その時の精神状態や思考のありよう、行動や妄想、末期のアルコール依存者や薬物依存者と全く変わりませんでした。彼らに仲間を見出し、経験と希望を分かち合ってもらった時、初めて転機が訪れました。
一番手助けをしてくれたダルクの人たちとの出会いのお陰で、回復の12ステップというものを実践しはじめました。
東北のみなさんが苦労しながら自然と向き合ってきた歴史があればこその優しさ。この財産があればきっと出来るんじゃないかと思うようになっています。
自分が役に立てる時がきっとある。でも、できることなら依存の事で役立たない方がいいなとも思っています。アルコールの問題が表面化するのはおそらく10年〜20年後でしょう。ダルクは薬物で破産したり逮捕されたりする状態を繰り返すことを底つき(ランディング)と言っていますが、「底の深さは自分がどこまで落ちる事を許すかにかかっている。」「底に通じる道路から降りる事ができた」人になろう。
回復する価値のある人間として本来の自分を見出すまで「待つ」プログラムをしているんですね。どん底まで否認してきた自分からみればうらやましかったですね。素晴らしい再生プログラムだと思います。
そんな事を自分につながる問題として笹かまやおさかなを取り寄せながら考えています。
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◎被災地から離れた地域でも、震災を通じて心を痛めている方がいらっしゃいます。Aさんのように、被災地の人と交流を続け、作った人の顔が見える商品を食べることでつながっていることが確認でき、安心することがあることをあらためて知りました。そうした楽しく学べる交流の場を、継続してさらに作っていきたいと感じました。Aさん、私にとっても気づきと学びが多い話を、ありがとうございました。
【いま、伝えたいこと〜寄せられたメッセージ・4】
八巻@ふらっとです。きょうはメールでお送りいただいたメッセージも掲載します。
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◎私は仕事で被災者支援をしています。
私が接する方たちは「起きたことはしょうがない」と前向きに生きていらっしゃる方がほとんどですが、まだ一部には震災直後に経験したことがショック過ぎて、頭が切り替えられない方たちもいます。
もうそろそろ震災から一年になるので、支援物資を本当に必要としている人は少数なんですが、今でも「もらわなきゃ損」と言わんばかりに、物資を山のように持っていこうとする方たちがいます。
そういう方たちはだいたい、震災直後に救援物資にありつけなかった方です。あの時の気持ちの飢えと恨みが収まらず、親の敵のように今なお晴らそうとします。
「物をいくらもらっても心の傷は癒せませんよ」と言いたいのですが、逆恨みされたり猛反発をくらうので言えません。カウンセラーさんに対応してもらうことも考えたのですが、自分のおかしさを自覚できていない人には何を言っても通じないのだそうです。
早く目を醒まして欲しい。もう物資に困窮していないでしょ?部屋の中は片付いていますか?かき集めた物で部屋がいっぱいになっていませんか?「タダだから」「あの時もらえなかったから」という理由だけで、不必要な物までもらっていませんか?物で心の傷は埋められませんよ?早く気づいて欲しい。
目が醒めた時がその方たちにとっての真の復興の第一歩なんだと思います。
(匿名)
◎3.26から始めた県内での支援活動。
あの頃は誰もかれも同じ恐怖を味わい、同じ寒さを感じ、同じ空腹を共有していた。あれから1年、今はそれぞれが自分の生活を営んでいる。ここにたどり着くまでそれぞれの人たちはどんな道を歩み、どんな困難を乗り越えてきたんだろう?
(略)
元気な人はそれでいい!!自分たちでなんとか復興に向かえるから!!そうでない人たちに目を向けて欲しい!!
東北の人たちに良く見られる「おしょすい!」の文化が、どうにもならない苦しみを覆い隠している。それを我慢強いと表わされることもある。一部の元気な人たちの姿を見て、被災地は復興に向かっている!!と、あたかも全ての人がそうであるかのように報道されている!!
僕がこの一年見ている限りそうではない!!いまだにお米も買えない人たちもいる。仕事を始めたくても全てを失い、移動手段の車も無いことから、仕事を探すエリアも限られ、なかなか仕事に就けなくなり、生活が行き詰まっている人もいる。それぞれの困難な状態から助けを求める声が今も後を絶たない!!時間の経過とともに増えてきているのも現実だ!!
この現状を皆さんに知ってほしい!!自分で立ち上がる力も日々衰えていく人たちが増えてきていることを!!3.11から1年を迎えるが、ここから格差が大きく広がってくるだろう!!まだまだ必要な支援の手!!現実を見誤らないでほしい!!
僕がこの一年の支援の中で感じてること、見てきたことを伝えたくて!!
(LWS 響さん)
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◎被災地の取材を続けているという「かさこ」さんからは、「自分のブログを見てほしい」とご連絡いただきました。下の画像をクリックすると、ブログが開きます。
【いま、伝えたいこと〜寄せられたメッセージ・3】
◎震災を経験して、一番に感じたことは「ああ、繋がっている…」。
日本中のみならず、海外からの、それも名前も初めて知るお国からも支援の声を聞き、ありがたいことこの上ない気持ちでいっぱいでした。
現在、私は「ふらっと」の「Manga」で4コマ漫画を描かせて頂いています。あの日は職場から帰宅し、昼食後に普段と同じように漫画を描いていました。人生の中で、自分の力ではどうにもならないという恐怖を感じたのは初めてでした。数日を避難所で過ごし、自宅は一部損壊程度ですみました。
親族、友人、職場の方とも連絡がつき、ほっとしたのもつかの間、物心ついた頃からお世話になっていた方が遺体で見つかったと聞き、愕然としました。お世話になっていたお礼も云えず、このような形でお別れすることになるとは思いもしませんでした。心よりご冥福をお祈り致します。今頃はあちらで祖父母等とともに昔のようにお茶していることでしょうか。
普通の生活が出来なくなる、当たり前と思っていた日常が無くなる。それまでの私は、当たり前で普通の生活に甘え過ぎていたように思います。面倒なことも大事なことも、「いつか、また今度」と後回しにしてきました。「いつか、また今度」が来ないかもしれない。そう痛感しながら過ごしてきた1年でした。今の私はいつどうなっても後悔したくない、今まで以上にその日その日を長生きしていきたいと思います。
(CRISIS さん)
◎1年前のあの時、私は病院で仕事でした。
そこそこ規模が大きく、あの日も患者さんがたくさんいました。揺れを感じた時、同僚と「地震だね。」と顔を合わせた瞬間、ものすごい揺れが来ました。慌てて避難口の確保に走りましたが、あまりのすごさに立ってるのがやっと。何とか外来の患者さんを連れて外に出ると、地面が波打ち、ピキピキと地割れ…しゃがみ込む患者さんを安全な広い駐車場へ避難させました。
長い揺れが終わり、ふと上を見ると、病棟の窓を叩いてる看護師。「助けて!ドアが開かない」。停電の為、セキュリティがダウンし閉じ込められてました。余震の中、非常階段から上がりドアをこじ開けて助けに行きました。
ちょうど、産婦人科病棟で新生児を抱いたお母さんたちが泣きながら座り込んでました。妊婦さんも含めて全員外へ…すると今度は寝たきり患者さんがいる病棟からのヘルプの声。しかし、チューブで繋がれた患者さんを動かすことは無理と判断…思わず涙が出ました。
ここからはまさに地獄絵図。トリアージの開始。ドラマの中だけのことだと思ってたことが、現実に。泣きたい気持ちを殺して、淡々と進める自分がいました。
今考えると、あの時の判断に従ってよかったのかどうか…家族が来たら何と言うのか。不安で震えていたのをハッキリと覚えています。
私が家に帰ったのは次の日でした。連絡が取れず、子供たちのことが心配で。顔を見た瞬間、2人を抱きしめ大泣きしました。子供たちの「おかえり」が今でも耳に残っています。
1年経った今も同じ病院にいますが、ここにいる限り、この仕事をする限り、忘れる事はないでしょう。
(pinkyさん)
◎仙台市内の大学生です。
私はこの1年間、震災をテーマにした卒業論文を書いたり、ドキュメンタリー映像を作ったりしてきました。そのおかげか、おそらく3.11のことを忘れた日はありません。
しかし、仙台市でも中心部では、もう震災などなかったかのような賑やかな日常が戻っています。震災のことを毎日考えているような人も、もう少ないのかもしれません。まして被災県外では尚更でしょう。
私も4月には就職のため、東京に引っ越します。きっと震災について考えることは少なくなるでしょう。そうして一人、また一人と震災のことを忘れていくのかと思うと、やりきれない気持ちになります。
最近、被災者の方々が「とにかく忘れないでほしい」「ずっと心に留めておいてほしい」「被災地に来てくれるだけでも嬉しい」とおっしゃるのを耳にします。
被災地・被災者にとっては、人々の関心が薄れ、時の流れに取り残されていくことが何よりも怖いのではないか、と常々考えています。
私自身を含む、すべての「被災者ではない」人々(特に若い人)へ。今は被災地のためにできることがなくても、とにかく自分自身が「忘れない」ようにしていきましょう。復興に至る長い道のりの途中に、何か支援できることがあるかもしれません。そのときに無関心になっていないように、自分自身を戒めて。
(S.koyama さん)
【いま、伝えたいこと〜寄せられたメッセージ・2】
スタッフブログのコメントに寄せられたメッセージをご紹介します。
* * * * * * *
◎復興は心から。心が、元がしっかりしていれば、また立ち直れるはずです。初めは、みんなの支えが必要かもしれません。前に進むためにも、一度立ち止まり、自分を、現実をしっかりと見つめ直した方がいいですね。人は現実に決して負けません。想像してみましょう。みんなで許しあい、助け合っている美しい姿を。それは、みんなの真の願いであり、真の姿です。ひとつの命を分け合ってます。
(仙台市宮城野区・山形裕昭さん)
◎あの日は、遠く山口県宇部市で仕事をしていました。
元請の所長が「東の方で地震があったみたいだよ」と言ったのを私は「まぁ、何時もの事だね」と軽く考えていたのですが、施主の方から「防潮堤を締めるから現場から退去して下さい」と言われて正直「は?」ってな感じでした。
宿に帰ってニュースを見て、津波のトンデモ映像を見て自分が今見ているこの映像が果たして現実なのかと目を疑いました。
どうして水の上を炎が上がっている家が浮いているのだろう?何をどうすればこうなっているんだろう?
実家は幸いな事にちょっと内陸なので壁が壊れた位で倒壊とかそこまで行かなかったですし、人的被害もありませんでした。周囲の方の被害状況とかもそんなに大したことはありませんでしたが、沿岸部の見知った所が壊滅していく様を見せられ、復興にいつまで掛かるやらとそれが心配です。
でも、東北人はそう簡単に負けません。「伊達と酔狂」の心は、あの政宗公の時代から連綿と培われた気質です。「伊達」でも良い。生きてさえいれば。
春になったら戻ります。ようやくその準備が出来ました。待ってろ東北。
(FPVさん)
◎あれからもうすぐ1年・・。あっという間の1年でした。
自分の町は津波で壊滅状態で、集落自体が無くなった所が大半でした。その中で自分の集落は高台にあったため、津波で流された家はほとんどありませんでした。しかし両隣は壊滅…。道路や橋が落ち陸の孤島でした。自分たちで道路の瓦礫を何とか車1台通れるように工事現場から重機をちょっと借りてどけたり、国道の橋が落ちたので旧道に、その辺の瓦礫や木を持ってきて橋を架けたり…。自分たちで出来る事はやろうといってやってました。でも国や公的な支援物資や食料は2か月近くきませんでした。
そんな中1番最初に来てくださったのは広島県の方でした。個人でワゴン車一杯食料等を持ってきてくれました。震災があってすぐ準備をして寝ないで走ってきてくれたとの事。こちらがまだ寒くて、ほかの集落に服や毛布など渡して手元にあまりないとわかると、自分たちが着てきた防寒着まで置いて行ってくれました。涙が出るほどありがたく嬉しかった…。ニュースで大きく取り上げていないところほど、困っている人が多いんだといって笑ってました。
どんな言葉でどんなにお礼を言っても足りません。自分たちが自分の足で踏ん張って、今までお世話になった方たちが助けてよかったと思われるように、1日も早く心の復興を頑張ります。
(あやさん)
◎阪神・淡路大震災を経験しました。私達と同じように、被災された方々は、あの日、大切な多くのものをなくされ、今も自分を見失いそうになられているのではないでしょうか。人が死ぬという事、人が生きていくという事、かけがえのない日常を失うという事、様々な苦脳を乗り越えるために、夢を捨てないで欲しいと切に願います。夢をあきらめず未来に向かい瞳を上げて祈りと共に歩んで行っていただきたいと同じ空の下、願っております。
(高田薫さん)
◎カナダ、トロント在住の石巻市出身です。兄家族、従兄弟、大川中学校同窓生大勢の愛する人達を亡くしました。
海の大好きだった50歳目前の姪がよく口ずさんでいた歌がある。「涙の数だけ強くなれるよ〜〜」。この歌のように昨年の3.11以来流した涙ほど私自身が強くなれただろうか。疑問だ。
ただ一つ決めたことがある。人に伝えたいこと、思うこと、したいことを先送りせずに即実行に移す。明日のことは誰にもわからないことだから後悔なんかしたくない。3.11には追悼同窓会、合同慰霊祭に参加するため帰国する。そして祈りを捧げること、それが今の自分に出来る精一杯のこと。

トロントのお正月会で皆に石巻への寄せ書きをしてもらった。それを持って3月5日に日本へ行きます。3月11日にはトロントの日系文化会館で「REMEMBERING 311」 が催される。3.11を風化させないためにも、これからも日本への応援を続けるためにもカナダには3.11から目を逸らさないやさしい人達が大勢いることを忘れないで欲しい。

(モガール和子さん)
◎あの東日本大震災から早くも一年が経ちました。街は復興に向かっても心の傷は癒え難いものです。遥か遠くのアメリカから震災と津波の悲惨な映像を眼にし、書かずにはいられなかった、書かれるべき小説が『絆』です。被災地支援向けのチャリティ本としての出版も考えましたが、多くの皆様にお読みいただけるよう電子書籍出版し、只今無料で公開しています。
尚、大震災の際に全世界から日本へ寄せられた温かい励まし、忘れないでいたいですね。毎年他の国でも地震や、ハリケーン、台風、洪水、豪雪等で愛する家族や知人を喪う方々がいます。そういう方達への励ましや支援も皆で考えていけたら、と願っております。
(愛川耀さん)
* * * * * * *
続きは、あす以降ご紹介します。(八巻@ふらっと)
* * * * * * *
◎復興は心から。心が、元がしっかりしていれば、また立ち直れるはずです。初めは、みんなの支えが必要かもしれません。前に進むためにも、一度立ち止まり、自分を、現実をしっかりと見つめ直した方がいいですね。人は現実に決して負けません。想像してみましょう。みんなで許しあい、助け合っている美しい姿を。それは、みんなの真の願いであり、真の姿です。ひとつの命を分け合ってます。
(仙台市宮城野区・山形裕昭さん)
◎あの日は、遠く山口県宇部市で仕事をしていました。
元請の所長が「東の方で地震があったみたいだよ」と言ったのを私は「まぁ、何時もの事だね」と軽く考えていたのですが、施主の方から「防潮堤を締めるから現場から退去して下さい」と言われて正直「は?」ってな感じでした。
宿に帰ってニュースを見て、津波のトンデモ映像を見て自分が今見ているこの映像が果たして現実なのかと目を疑いました。
どうして水の上を炎が上がっている家が浮いているのだろう?何をどうすればこうなっているんだろう?
実家は幸いな事にちょっと内陸なので壁が壊れた位で倒壊とかそこまで行かなかったですし、人的被害もありませんでした。周囲の方の被害状況とかもそんなに大したことはありませんでしたが、沿岸部の見知った所が壊滅していく様を見せられ、復興にいつまで掛かるやらとそれが心配です。
でも、東北人はそう簡単に負けません。「伊達と酔狂」の心は、あの政宗公の時代から連綿と培われた気質です。「伊達」でも良い。生きてさえいれば。
春になったら戻ります。ようやくその準備が出来ました。待ってろ東北。
(FPVさん)
◎あれからもうすぐ1年・・。あっという間の1年でした。
自分の町は津波で壊滅状態で、集落自体が無くなった所が大半でした。その中で自分の集落は高台にあったため、津波で流された家はほとんどありませんでした。しかし両隣は壊滅…。道路や橋が落ち陸の孤島でした。自分たちで道路の瓦礫を何とか車1台通れるように工事現場から重機をちょっと借りてどけたり、国道の橋が落ちたので旧道に、その辺の瓦礫や木を持ってきて橋を架けたり…。自分たちで出来る事はやろうといってやってました。でも国や公的な支援物資や食料は2か月近くきませんでした。
そんな中1番最初に来てくださったのは広島県の方でした。個人でワゴン車一杯食料等を持ってきてくれました。震災があってすぐ準備をして寝ないで走ってきてくれたとの事。こちらがまだ寒くて、ほかの集落に服や毛布など渡して手元にあまりないとわかると、自分たちが着てきた防寒着まで置いて行ってくれました。涙が出るほどありがたく嬉しかった…。ニュースで大きく取り上げていないところほど、困っている人が多いんだといって笑ってました。
どんな言葉でどんなにお礼を言っても足りません。自分たちが自分の足で踏ん張って、今までお世話になった方たちが助けてよかったと思われるように、1日も早く心の復興を頑張ります。
(あやさん)
◎阪神・淡路大震災を経験しました。私達と同じように、被災された方々は、あの日、大切な多くのものをなくされ、今も自分を見失いそうになられているのではないでしょうか。人が死ぬという事、人が生きていくという事、かけがえのない日常を失うという事、様々な苦脳を乗り越えるために、夢を捨てないで欲しいと切に願います。夢をあきらめず未来に向かい瞳を上げて祈りと共に歩んで行っていただきたいと同じ空の下、願っております。
(高田薫さん)
◎カナダ、トロント在住の石巻市出身です。兄家族、従兄弟、大川中学校同窓生大勢の愛する人達を亡くしました。
海の大好きだった50歳目前の姪がよく口ずさんでいた歌がある。「涙の数だけ強くなれるよ〜〜」。この歌のように昨年の3.11以来流した涙ほど私自身が強くなれただろうか。疑問だ。
ただ一つ決めたことがある。人に伝えたいこと、思うこと、したいことを先送りせずに即実行に移す。明日のことは誰にもわからないことだから後悔なんかしたくない。3.11には追悼同窓会、合同慰霊祭に参加するため帰国する。そして祈りを捧げること、それが今の自分に出来る精一杯のこと。
トロントのお正月会で皆に石巻への寄せ書きをしてもらった。それを持って3月5日に日本へ行きます。3月11日にはトロントの日系文化会館で「REMEMBERING 311」 が催される。3.11を風化させないためにも、これからも日本への応援を続けるためにもカナダには3.11から目を逸らさないやさしい人達が大勢いることを忘れないで欲しい。
(モガール和子さん)
◎あの東日本大震災から早くも一年が経ちました。街は復興に向かっても心の傷は癒え難いものです。遥か遠くのアメリカから震災と津波の悲惨な映像を眼にし、書かずにはいられなかった、書かれるべき小説が『絆』です。被災地支援向けのチャリティ本としての出版も考えましたが、多くの皆様にお読みいただけるよう電子書籍出版し、只今無料で公開しています。
尚、大震災の際に全世界から日本へ寄せられた温かい励まし、忘れないでいたいですね。毎年他の国でも地震や、ハリケーン、台風、洪水、豪雪等で愛する家族や知人を喪う方々がいます。そういう方達への励ましや支援も皆で考えていけたら、と願っております。
(愛川耀さん)
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続きは、あす以降ご紹介します。(八巻@ふらっと)
【いま、伝えたいこと〜寄せられたメッセージ・1】
八巻@ふらっとです。
3月2日から9日まで、「いま、伝えたいこと」をテーマにメッセージを募集しました。応募してくださった皆さま、本当にありがとうございました。
一つ一つのメッセージをじっくり拝読しました。被災地内外から寄せられた「声」には、さまざまな苛立ち、苦しみ、願いが込められています。あの日立ち止まったまま前に進めない方も、復興に向けて手探りを続けている方も、遠いところから被災地の復興を願っている方も、寄せられた「声」にちょっとだけ耳を傾けていただければ幸いです。復興が前進するための小さな気づきがあるかもしれません。
きょうから数回にわけてご紹介します。長文にわたるものは、心苦しくも一部省略させていただきました。すみません。まずは、「ふらっと」ツイッター( @flat_kahoku)に寄せられた言葉からどうぞ。
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◎あの日、閖上大橋に向けて走ってた私をローソンの所でUターンを促してくれた方に感謝申し上げます。その後、名取インターを突破してなんとか間近まで迫り炎をあげながら迫っていた黒い津波から逃げる事が出来ました。津波の恐ろしさを体験しました。
(@hirox55zさん)
◎父は他界したので今は実家に母しかいませんが、震災の時、実家に避難させて貰えてどんなに助かったか。私のアパートはもう上下をひっくり返したような惨状で家具は倒壊状態。実家は比較的大丈夫だったので、避難させてくれて・励まし続けてくれた母に感謝。
(@Peach_ANAさん)
◎仙台の母、友達に三日間連絡がつかず、自分も渋谷から帰宅出来なかったので、あの日を思い出すのが嫌です。携帯各社は緊急の時程繋がる努力をして欲しい。安否確認が一番必要だと思いました。それから物資を迅速に届けて下さったヤマト宅急便さんに感謝です。
(@subrosa2011さん)
◎恩師白石みね子先生、茂庭への地を、お導き下さりありがとうございました。仙台沖地震の先生とのお話、身にしみます。お元気でしょうか?そう、思っています。いまも。
( @Mikenya2Tomoakiさん)
◎あの日の夜、家族の誰もお腹がすいたって言わなかった。ああいう時ってお腹もすかなくなるんだって事を知った。みんなで寒い車でくっついて寝た。一晩中ヘリコプターの音とサーチライトが眩しかった。早く朝になれと願った。
(@kawauso49さん)
◎第二の故郷、閖上の地はたびたび海の脅威に直面してきました。いつのまに忘れてしまっていたのか。自然はいつも人の予想を超えることを、改めて思い知らされた日でした。なかなか現地にはいけないけれどいつも気にかけてます。海のように塩辛い涙を、力に変えて。
(@chrozeさん)
◎首都圏在住ですが、宮城・登米市に何度か訪れています。内陸ですが、震度は強く被災しています。ふるさと納税をさせていただき、石ノ森章太郎ふるさと記念館・生家、蔵の復旧の一助となりました。
(@0125shoutarouさん)
◎3月末に、神奈川から宮城の実家に深夜バスでやっと帰れました。ボランティアに行くも、ボランティアの人たちが多すぎて余っている状態に、復興に一歩ずつでも向かっているんだと安心しました。これだけの人が東北の復興の為頑張ってるから大丈夫だ、と思いました。
(@aik0_kさん)
◎正直なところ「まだ」どころか「まだまだまだまだ」だと思っています。今は何をできるという時でもない。自分にできることを続けながら、遠く離れたところに住む人たちにも震災を「忘れないでほしい」と願っています。忘れないこと、気持ちを寄せる事を、続けていきます。
(@nami_tanさん)
◎1年前のこと…つらかったことや苦しかったこと、不安だったこと。未来のためにも忘れちゃいけないことがあるはず。少しでもいいから心のかたすみに留めておいてほしい。「忘れないで」…それが私たちにできる大事なことだから。
(@patapatapatachiさん)
◎「福島県は危険、避難を」と簡単に言う。「福島県から人も物も出て来くるな」とも言う。原発事故での避難区域は、同時に地震と津波の被害があって片付けも人の捜索もまだまだ途中。その落胆を想像しない外野は黙れ、なにが絆だ、がんばれ日本だ。
(@karakara01さん)
◎震災後、目の前がまっくらになり、何もかもできない自分に絶望したとき、「小さなことからはじめよう。今できることからはじめよう。それが復興への一歩なんだ。」といったふらっとさんの言葉に背中をおされました。勇気をくれ、ありがとうございました。応援してます。
(@24onsendaiさん)
◎【いま〜伝えたいこと】竜宮城さ居る皆さんへ。そっつは美しいどごだべが?こっつでも皆して美しい花だの美味ぇお菓子だの、いっぺ用意して待ってっから、そろそろ帰ってございん。
(@lonewolfpochiさん)
3月2日から9日まで、「いま、伝えたいこと」をテーマにメッセージを募集しました。応募してくださった皆さま、本当にありがとうございました。
一つ一つのメッセージをじっくり拝読しました。被災地内外から寄せられた「声」には、さまざまな苛立ち、苦しみ、願いが込められています。あの日立ち止まったまま前に進めない方も、復興に向けて手探りを続けている方も、遠いところから被災地の復興を願っている方も、寄せられた「声」にちょっとだけ耳を傾けていただければ幸いです。復興が前進するための小さな気づきがあるかもしれません。
きょうから数回にわけてご紹介します。長文にわたるものは、心苦しくも一部省略させていただきました。すみません。まずは、「ふらっと」ツイッター( @flat_kahoku)に寄せられた言葉からどうぞ。
* * * * * * *
◎あの日、閖上大橋に向けて走ってた私をローソンの所でUターンを促してくれた方に感謝申し上げます。その後、名取インターを突破してなんとか間近まで迫り炎をあげながら迫っていた黒い津波から逃げる事が出来ました。津波の恐ろしさを体験しました。
(@hirox55zさん)
◎父は他界したので今は実家に母しかいませんが、震災の時、実家に避難させて貰えてどんなに助かったか。私のアパートはもう上下をひっくり返したような惨状で家具は倒壊状態。実家は比較的大丈夫だったので、避難させてくれて・励まし続けてくれた母に感謝。
(@Peach_ANAさん)
◎仙台の母、友達に三日間連絡がつかず、自分も渋谷から帰宅出来なかったので、あの日を思い出すのが嫌です。携帯各社は緊急の時程繋がる努力をして欲しい。安否確認が一番必要だと思いました。それから物資を迅速に届けて下さったヤマト宅急便さんに感謝です。
(@subrosa2011さん)
◎恩師白石みね子先生、茂庭への地を、お導き下さりありがとうございました。仙台沖地震の先生とのお話、身にしみます。お元気でしょうか?そう、思っています。いまも。
( @Mikenya2Tomoakiさん)
◎あの日の夜、家族の誰もお腹がすいたって言わなかった。ああいう時ってお腹もすかなくなるんだって事を知った。みんなで寒い車でくっついて寝た。一晩中ヘリコプターの音とサーチライトが眩しかった。早く朝になれと願った。
(@kawauso49さん)
◎第二の故郷、閖上の地はたびたび海の脅威に直面してきました。いつのまに忘れてしまっていたのか。自然はいつも人の予想を超えることを、改めて思い知らされた日でした。なかなか現地にはいけないけれどいつも気にかけてます。海のように塩辛い涙を、力に変えて。
(@chrozeさん)
◎首都圏在住ですが、宮城・登米市に何度か訪れています。内陸ですが、震度は強く被災しています。ふるさと納税をさせていただき、石ノ森章太郎ふるさと記念館・生家、蔵の復旧の一助となりました。
(@0125shoutarouさん)
◎3月末に、神奈川から宮城の実家に深夜バスでやっと帰れました。ボランティアに行くも、ボランティアの人たちが多すぎて余っている状態に、復興に一歩ずつでも向かっているんだと安心しました。これだけの人が東北の復興の為頑張ってるから大丈夫だ、と思いました。
(@aik0_kさん)
◎正直なところ「まだ」どころか「まだまだまだまだ」だと思っています。今は何をできるという時でもない。自分にできることを続けながら、遠く離れたところに住む人たちにも震災を「忘れないでほしい」と願っています。忘れないこと、気持ちを寄せる事を、続けていきます。
(@nami_tanさん)
◎1年前のこと…つらかったことや苦しかったこと、不安だったこと。未来のためにも忘れちゃいけないことがあるはず。少しでもいいから心のかたすみに留めておいてほしい。「忘れないで」…それが私たちにできる大事なことだから。
(@patapatapatachiさん)
◎「福島県は危険、避難を」と簡単に言う。「福島県から人も物も出て来くるな」とも言う。原発事故での避難区域は、同時に地震と津波の被害があって片付けも人の捜索もまだまだ途中。その落胆を想像しない外野は黙れ、なにが絆だ、がんばれ日本だ。
(@karakara01さん)
◎震災後、目の前がまっくらになり、何もかもできない自分に絶望したとき、「小さなことからはじめよう。今できることからはじめよう。それが復興への一歩なんだ。」といったふらっとさんの言葉に背中をおされました。勇気をくれ、ありがとうございました。応援してます。
(@24onsendaiさん)
◎【いま〜伝えたいこと】竜宮城さ居る皆さんへ。そっつは美しいどごだべが?こっつでも皆して美しい花だの美味ぇお菓子だの、いっぺ用意して待ってっから、そろそろ帰ってございん。
(@lonewolfpochiさん)
一緒に「東北」をつむぎませんか?
河北新報社は東日本大震災から1年となる3月11日、震災を超えて立ち上がる東北の動きが一目で分かるコミュニケーションスペースづくりを目指し、このフェイスブック上に「つむぐ 震災を超えて」を開設しました。
「つむぐ」は、東北の復興プロセスを追い、再生にかける人々の思いや志を共有する人々のつながりを紡いでいくサイトです。
河北新報の記事のほか、ウエブ上で注目されているニュースや話題を取り上げたり、被災地発のブログや東北を応援する全国からのメッセージを紹介したり、ボランティアのニーズを探し集めたり、ツイッター上に流れているトピックを拾い集めたり―と、ソーシャルメディアの機能を生かしながら、「タテヨコななめ」に展開していきたいと考えています。
併せてニュースサイト「KOLNET」や地域SNS「ふらっと」、ボランティア情報サイト「絆」、写真投稿サイト「3.11大震災 将来への記憶」…など河北新報社が展開している各種サイトも順次リニューアル。より見やすく、より分かりやすい情報の発信と整理に努めてまいります。
ここでお知らせです。
「つむぐ」企画第2弾! 東北の「つむぎびと」を大募集します。
資格はいりません。
居住地も問いません。
ただ、東北の情報に詳しく、再生へ心を一つにしてくださる方ならOKです。
期待していることは2種類あります。
一つは、東北各地の様々な「現場」の写真を撮影し、投稿してくださること
もう一つは東北のニュースや話題、人などを紹介し、メッセージを発信してくださること
「やってみたい」という方は、この「つむぐ」にメッセージを送ってください。
応募動機など、いくつか質問をさせていただいた上で、私たちと共同の「管理人」になっていただきます。
さあ、「つむぐ」アイコンで、一緒に情報発信しませんか。
2012年3月11日
河北新報社メディア局ネット事業部長
八浪英明
(八浪@ふらっと)
「つむぐ」は、東北の復興プロセスを追い、再生にかける人々の思いや志を共有する人々のつながりを紡いでいくサイトです。
河北新報の記事のほか、ウエブ上で注目されているニュースや話題を取り上げたり、被災地発のブログや東北を応援する全国からのメッセージを紹介したり、ボランティアのニーズを探し集めたり、ツイッター上に流れているトピックを拾い集めたり―と、ソーシャルメディアの機能を生かしながら、「タテヨコななめ」に展開していきたいと考えています。
併せてニュースサイト「KOLNET」や地域SNS「ふらっと」、ボランティア情報サイト「絆」、写真投稿サイト「3.11大震災 将来への記憶」…など河北新報社が展開している各種サイトも順次リニューアル。より見やすく、より分かりやすい情報の発信と整理に努めてまいります。
ここでお知らせです。
「つむぐ」企画第2弾! 東北の「つむぎびと」を大募集します。
資格はいりません。
居住地も問いません。
ただ、東北の情報に詳しく、再生へ心を一つにしてくださる方ならOKです。
期待していることは2種類あります。
一つは、東北各地の様々な「現場」の写真を撮影し、投稿してくださること
もう一つは東北のニュースや話題、人などを紹介し、メッセージを発信してくださること
「やってみたい」という方は、この「つむぐ」にメッセージを送ってください。
応募動機など、いくつか質問をさせていただいた上で、私たちと共同の「管理人」になっていただきます。
さあ、「つむぐ」アイコンで、一緒に情報発信しませんか。
2012年3月11日
河北新報社メディア局ネット事業部長
八浪英明
(八浪@ふらっと)
われわれもまた、変わっていきます。
3月11日。
あれから、1年が経ちます。
いろんな事がありました。
東北の被災地はまだまだ復興途上です。
震災後、ふらっと編集室では、被災地復旧に役立てていただきたいと、ボランティアサイト「絆」を開設し、運営してきました。
主にボランティア活動に関心のある方々への情報提供の場としてこれまで運営してきました。
1年の節目を迎えるにあたり、震災関連の外部HPやブログへのリンク中心の内容にプラスアルファし、双方向性の機能を備えたより使い勝手のいいサイトに変えていくことにしました。
あえて表現するならば、「東北復興、再生に関する総合サイト」とでもいいましょうか(^_^;)。
例えば、気軽に書き込める掲示板を設けたり、ツイッターやフェイスブックと連動させたり、関連動画を付けたり、あるいは、河北新報本紙との連携など...、を想定しています。
同じようなサイトは、ネット上にあまたあります。
機能的に「絆」を超えるサイトも少なくありません。
「絆」はまだまだ“マイナー”な存在であり、知名度の点から言えば、今後もマイナーであり続けるのだと思います。
ただ、「地元の新聞社が運営している」という1点に「絆」の存在意義はあると考えています。
事の大小にかかわりなく、地元に根差す、あるいは根差したいと考えている地元の新聞社が運営しているサイト、ということにこだわりたいのです。
手始めに、バナー画像やテキスト表示、「絆」のサイト説明文など、一目で分かる部分を変えました。ご確認ください。
フェイスブック上に、「つなぐ 震災を超えて」を明日11日に開設します。
さまざまな情報をつむぎ、人びと、多様な意見、感動や共感などの輪を丹念につむいでいくコミュニティースペース、がイメージです。「絆」との連動を視野に入れています。
とは言え、利用してくださるのはユーザーの皆さまがた。
管理人のアイデアは常にベストではありません。
「変化への対応にはかなりフレキシブルに」をモットーとしている我々スタッフです。今後の「絆」リニューアルに関して、あるいは使い勝手に関してなど、ご意見、ご要望などありましたら、お気軽に編集室までお寄せください。
不変のサイトなどありません。
変化していくのが常です。
運営する我々ももちろん、状況に合わせながら変わっていくつもりです。(できればよい方向に。って当たり前ですが(^_^;))
よろしくお願いします。
問い合わせは、ふらっと編集室へ。
電 話:022−211−1158
メール:flat@po.kahoku.co.jp
(相原@ふらっと)
あれから、1年が経ちます。
いろんな事がありました。
東北の被災地はまだまだ復興途上です。
震災後、ふらっと編集室では、被災地復旧に役立てていただきたいと、ボランティアサイト「絆」を開設し、運営してきました。
主にボランティア活動に関心のある方々への情報提供の場としてこれまで運営してきました。
1年の節目を迎えるにあたり、震災関連の外部HPやブログへのリンク中心の内容にプラスアルファし、双方向性の機能を備えたより使い勝手のいいサイトに変えていくことにしました。
あえて表現するならば、「東北復興、再生に関する総合サイト」とでもいいましょうか(^_^;)。
例えば、気軽に書き込める掲示板を設けたり、ツイッターやフェイスブックと連動させたり、関連動画を付けたり、あるいは、河北新報本紙との連携など...、を想定しています。
同じようなサイトは、ネット上にあまたあります。
機能的に「絆」を超えるサイトも少なくありません。
「絆」はまだまだ“マイナー”な存在であり、知名度の点から言えば、今後もマイナーであり続けるのだと思います。
ただ、「地元の新聞社が運営している」という1点に「絆」の存在意義はあると考えています。
事の大小にかかわりなく、地元に根差す、あるいは根差したいと考えている地元の新聞社が運営しているサイト、ということにこだわりたいのです。
手始めに、バナー画像やテキスト表示、「絆」のサイト説明文など、一目で分かる部分を変えました。ご確認ください。
フェイスブック上に、「つなぐ 震災を超えて」を明日11日に開設します。
さまざまな情報をつむぎ、人びと、多様な意見、感動や共感などの輪を丹念につむいでいくコミュニティースペース、がイメージです。「絆」との連動を視野に入れています。
とは言え、利用してくださるのはユーザーの皆さまがた。
管理人のアイデアは常にベストではありません。
「変化への対応にはかなりフレキシブルに」をモットーとしている我々スタッフです。今後の「絆」リニューアルに関して、あるいは使い勝手に関してなど、ご意見、ご要望などありましたら、お気軽に編集室までお寄せください。
不変のサイトなどありません。
変化していくのが常です。
運営する我々ももちろん、状況に合わせながら変わっていくつもりです。(できればよい方向に。って当たり前ですが(^_^;))
よろしくお願いします。
問い合わせは、ふらっと編集室へ。
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(相原@ふらっと)
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