FLOCK OF BIRDS
み ん な の う た ご え つ ば さ に の せ て
次の一歩
しばらく間が空いてしまい申し訳ありません。
実は前回のブログに書いた内山先生の急逝も含め、いろんなことがあり、自分の中でこれからどうするか悩んでいました。まだ霧が晴れた、というわけではありませんが、少しずつ自分の気持ちを綴っていくこと自体が、被災した思いを伝え明日を見るということなんだろうな、と思うようになってきています。
まっすぐに復興に向かえなくとも、悩み苦しむことがあっても、それも大切だし、むしろ語らなくてはいけないことなのかもしれませんね。
3月11日のNHKの放送の中で話した、私自身の言葉の中に、先日のブログでも話題にしたSurvivor's guilt(生き残った者の罪責感)に対する私なりの答えがあるように思います。自分への宣誓として、改めてここに記載したいと思います。(放送とは詳細は異なりますが、文意は同じです。)
・今を生きるすべてのみなさんへ
「どんな困難のときにあっても、あきらめずに自分にできることを必死に探し、人の輪の力を信じることで明日への希望へとつながるはず。それは今回の震災の中で示された事だと思う。復興ヘは長い期間がかかるが、この体験と復興への道筋を皆で共有し新しい社会を築くことが今を生きるすべての者の責務です」
・被災されたみなさんへ(非被災地でも同じように感じる人もいたでしょう)
「生き残ったことは決して罪ではありません。生きていて本当に良かったんです。もう自分を責める必要はありません。みんなで、生きていきましょう。」

これは、震災翌日の3月12日、病院の屋上から撮った写真です

そしてこれは、1年後の2012年3月11日に同じ病院屋上から撮影しました。
1年が過ぎて、変わったこと、変わらないこと。
被災の状況もひとによって大きく異なり、また立ち上がりもひとそれぞれです。
私自身の中にも、どす黒く渦まくつらい記憶も、そして立ち上がる希望の光も両方あります。
でも、一歩。進んでみようかな、と思いました。
ブログを綴り、語ることで思いを伝えそして私自身前を向くきっかけになればいいですね。
来月5月19日に東京の笹川記念会館で、日野原重明先生と一緒に講演会をやることが決まりました。
http://www.caresapo.jp/senior/health/health/pdf/seminer_20120330.pdf
日野原先生に聞いてみようと思います。「いのち」について先生の思いを。
菅野 武
実は前回のブログに書いた内山先生の急逝も含め、いろんなことがあり、自分の中でこれからどうするか悩んでいました。まだ霧が晴れた、というわけではありませんが、少しずつ自分の気持ちを綴っていくこと自体が、被災した思いを伝え明日を見るということなんだろうな、と思うようになってきています。
まっすぐに復興に向かえなくとも、悩み苦しむことがあっても、それも大切だし、むしろ語らなくてはいけないことなのかもしれませんね。
3月11日のNHKの放送の中で話した、私自身の言葉の中に、先日のブログでも話題にしたSurvivor's guilt(生き残った者の罪責感)に対する私なりの答えがあるように思います。自分への宣誓として、改めてここに記載したいと思います。(放送とは詳細は異なりますが、文意は同じです。)
・今を生きるすべてのみなさんへ
「どんな困難のときにあっても、あきらめずに自分にできることを必死に探し、人の輪の力を信じることで明日への希望へとつながるはず。それは今回の震災の中で示された事だと思う。復興ヘは長い期間がかかるが、この体験と復興への道筋を皆で共有し新しい社会を築くことが今を生きるすべての者の責務です」
・被災されたみなさんへ(非被災地でも同じように感じる人もいたでしょう)
「生き残ったことは決して罪ではありません。生きていて本当に良かったんです。もう自分を責める必要はありません。みんなで、生きていきましょう。」
これは、震災翌日の3月12日、病院の屋上から撮った写真です
そしてこれは、1年後の2012年3月11日に同じ病院屋上から撮影しました。
1年が過ぎて、変わったこと、変わらないこと。
被災の状況もひとによって大きく異なり、また立ち上がりもひとそれぞれです。
私自身の中にも、どす黒く渦まくつらい記憶も、そして立ち上がる希望の光も両方あります。
でも、一歩。進んでみようかな、と思いました。
ブログを綴り、語ることで思いを伝えそして私自身前を向くきっかけになればいいですね。
来月5月19日に東京の笹川記念会館で、日野原重明先生と一緒に講演会をやることが決まりました。
http://www.caresapo.jp/senior/health/health/pdf/seminer_20120330.pdf
日野原先生に聞いてみようと思います。「いのち」について先生の思いを。
菅野 武
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- 2012年04月16日17:30
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春満開のニューヨーク
三月半ば。 ニューヨークには、例年より、ひと足もふた足も早く、春が訪れました。
写真はセントラルパークで撮影されたもの。
皆さんにいち早く暖かい春の足音をお届けしたく、Save Japan Benefits のメンバーであり、NYCを拠点にフォトグラファーとしてご活躍中のmisaki matsuiさんが
共有してくださいました。
misaki さんの写真は、下記のリンク↓よりご覧頂けます。
http://www.misakimatsui.com/blog.php
にしな あや
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- 2012年04月02日17:10
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Fashion Girls for Japan
皆さん、花冷えの候、いかがお過ごしでいらっしゃいますか?
NYCでは、先週末(3月31日と4月1日の2日間)
Fashion Girls for Japan (ファッション ガールズ フォー ジャパン)
という復興支援のチャリティイベントが開催されました。
会場は、マンハッタンのイーストヴィレッジにあるBowery Hotel。
内容は、60以上の名だたるNYCブランドの商品を卸価格の50%以下の値段で販売し、
売り上げのすべてを復興支援にあてるというもの。
発起人代表は、ファッションブランドVPL代表取締役のKIKKA HANAZAWAさん。
Fashion Girls for Japan は、VPL、フィリップ リム(Phillip Lim)、バーニーズ コアープ(Barney's Co-op)の各代表者やNYファッション界の第一線で活躍されているファッションコンサルタントの方々などを筆頭に、昨年3月に結成。昨年4月2日と3日に第一回目のチャリティーセールを行いました。また、それに先駆け、トートバッグやTシャツなどのチャリティーグッズも販売するなど、精力的な活動を続けられ、昨年の活動による収益額は$275,000(ドル)。
日本円にして約2千3百万円。
また、各チャリティーグッズに起用されている同団体のロゴマーク『I ○ NY』は
ニューヨーク市に特許ライセンスが正式認定されており、「これからも率先して震災地でお過ごしになられている方々のお役にすこしでも立てるよう、自分たちの出来ることを率先して継続いきたい」と、代表のKIKKAさん。
今回の第二回目のチャリティーセールのために、多大なる尽力をされてきました。
セール初日は、あいにくの雨の中、早朝から延べ60名程のボランティアメンバーが集合。KIKKAさんの指揮により、次々とラックが組み立てられ、およそ3000着もの洋服が運び込まれ、ブランド別アルファベッド順に整理され、2時間程で会場がセットアップ完了。
天候の悪さにも関わらず、開場と同時に沢山の方々がご来場されました。
NYC在住の代表的デザイナーのひとり、フィリップ リム氏ご本人が
駆けつけ、自らメンズコーナーの洋服をご試着されるお姿を拝見するなど、
会場は活気に満ちあふれていました。
このセールの模様は後日写真でご報告したいと思います。
FGFJの皆さん、ボランティアの皆さん、おつかれさまでした!
Save Japan Benefits
にしな あや
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- 2012年04月02日16:49
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祈りと決意 震災1年に向けて
こんばんは。菅野武です。
寒い日が続いていますね。インフルエンザもまだまだ流行っています。
体調を崩されたりはしていませんか。
今日私は、出先で石巻赤十字病院(被災時石巻市立病院)の内山哲之先生の講演を聞く機会を得ました。石巻市立病院は港の近くにあり、津波によって1階部分が浸水、病院機能が壊滅した中で、私達志津川病院と同じく、患者を守り、皆で支えあったというお話を聞きました。
そして内山先生はその後も石巻で医療をされ、被災地の医療の立て直しに尽力されています。
今日の講演の中で、「今起こったことを今後は全て想定内としなくてはいけない」という言葉がとても響きました。私も含めて、被災した者が語り伝える意味はより良い明日を創ることで、震災の悲劇を少しでも繰り返さずに済むようにしたいという願いです。
サバイバーズ・ギルト(Survivor's guilt)「生き残った者の罪責感」という言葉があります。事件や災害などあまりに悲しい出来事の中で、生存者が亡くなった方に対して罪悪感を抱く、というものです。実は今回の震災でも多くの方が抱えている感情です。被災地、非被災地に関わらず、「救えなかった。もっと助けてあげたかった。」という気持ちを感じた方は少なくないと思います。
震災からもうすぐ1年。Survivor's guilt は行き過ぎれば自らを追い込んでしまう感情ですが、少し気持ちの方向を変えれば大きなエネルギーを秘めた感情なのではないかと思っています。私自身いまだ津波の光景を忘れられませんし、失った町や友への悲しみは色濃く残っています。死を悼み、別れを悲しむ感情は、それ自体が悪いものではありません。その気持ちの上に、初めて困難を乗り越える新しい力が生まれてきつつあるはずです。
3月11日を前に、皆さんにお願いがあります。
どうか、悲しみに目をそむけないでください。受け止めきれない思いもいまだありますが、でも向き合って手を合わせましょう。
祈りを経てそれから、これから10年20年かけて作る未来を考えましょう。明日への決意を自分の心に記しましょう。
私は、震災1年を過ぎた後はこのブログを書くべきか迷っています。
この心情の変化を書き留めておくことが必要なのか、復興の兆しを私が伝えてゆくべきなのか、などと少し葛藤しています。
必死に走り抜けた1年間でした。
Survivor's guilt は私の中にもあります。震災直後ヒーローのように報道された時に私の中に渦巻いた感情はまさにguilt 罪の意識でした。「あんなに助けられなくて、悔しくて必死に生きただけ。悔しいからその後も生き残った人のために避難所で医療をしただけなんだ」と評価と反対の感情を持っていました。けれど多くの人の支えで、「着目されたことは、伝えてゆく使命を課せられたのだ」と思えるようになり、外に居てもできる支援として仙台に移ったのちも伝え続けました。
この3月11日を前後して、多くの報道・講演・話し合いなどの機会をいただております。でも、そこを突き動かしているのは夢や正義感などよりももっと奥底から押し寄せるguilt に近い感情からのエネルギーのように感じます。
長文でごめんなさい。それと、読まれた方はどうぞ気兼ねなくコメントをください。今後どんな方向で私達からのメッセージを伝えてゆくべきか、ご意見ください。

震災の1年ほど前に、長女と南三陸の町をお散歩した時の写真です。こんな穏やかな風景に戻りたいです。
菅野 武
寒い日が続いていますね。インフルエンザもまだまだ流行っています。
体調を崩されたりはしていませんか。
今日私は、出先で石巻赤十字病院(被災時石巻市立病院)の内山哲之先生の講演を聞く機会を得ました。石巻市立病院は港の近くにあり、津波によって1階部分が浸水、病院機能が壊滅した中で、私達志津川病院と同じく、患者を守り、皆で支えあったというお話を聞きました。
そして内山先生はその後も石巻で医療をされ、被災地の医療の立て直しに尽力されています。
今日の講演の中で、「今起こったことを今後は全て想定内としなくてはいけない」という言葉がとても響きました。私も含めて、被災した者が語り伝える意味はより良い明日を創ることで、震災の悲劇を少しでも繰り返さずに済むようにしたいという願いです。
サバイバーズ・ギルト(Survivor's guilt)「生き残った者の罪責感」という言葉があります。事件や災害などあまりに悲しい出来事の中で、生存者が亡くなった方に対して罪悪感を抱く、というものです。実は今回の震災でも多くの方が抱えている感情です。被災地、非被災地に関わらず、「救えなかった。もっと助けてあげたかった。」という気持ちを感じた方は少なくないと思います。
震災からもうすぐ1年。Survivor's guilt は行き過ぎれば自らを追い込んでしまう感情ですが、少し気持ちの方向を変えれば大きなエネルギーを秘めた感情なのではないかと思っています。私自身いまだ津波の光景を忘れられませんし、失った町や友への悲しみは色濃く残っています。死を悼み、別れを悲しむ感情は、それ自体が悪いものではありません。その気持ちの上に、初めて困難を乗り越える新しい力が生まれてきつつあるはずです。
3月11日を前に、皆さんにお願いがあります。
どうか、悲しみに目をそむけないでください。受け止めきれない思いもいまだありますが、でも向き合って手を合わせましょう。
祈りを経てそれから、これから10年20年かけて作る未来を考えましょう。明日への決意を自分の心に記しましょう。
私は、震災1年を過ぎた後はこのブログを書くべきか迷っています。
この心情の変化を書き留めておくことが必要なのか、復興の兆しを私が伝えてゆくべきなのか、などと少し葛藤しています。
必死に走り抜けた1年間でした。
Survivor's guilt は私の中にもあります。震災直後ヒーローのように報道された時に私の中に渦巻いた感情はまさにguilt 罪の意識でした。「あんなに助けられなくて、悔しくて必死に生きただけ。悔しいからその後も生き残った人のために避難所で医療をしただけなんだ」と評価と反対の感情を持っていました。けれど多くの人の支えで、「着目されたことは、伝えてゆく使命を課せられたのだ」と思えるようになり、外に居てもできる支援として仙台に移ったのちも伝え続けました。
この3月11日を前後して、多くの報道・講演・話し合いなどの機会をいただております。でも、そこを突き動かしているのは夢や正義感などよりももっと奥底から押し寄せるguilt に近い感情からのエネルギーのように感じます。
長文でごめんなさい。それと、読まれた方はどうぞ気兼ねなくコメントをください。今後どんな方向で私達からのメッセージを伝えてゆくべきか、ご意見ください。
震災の1年ほど前に、長女と南三陸の町をお散歩した時の写真です。こんな穏やかな風景に戻りたいです。
菅野 武
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- 2012年03月02日22:23
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ストレスと潰瘍
震災から3か月間の出血性潰瘍は前年同時期から2.16倍に増加しました。
震災に伴うストレスの影響が引き金になっている可能性が高いと考えます。
これは昨日、消化管学会総会で発表しました。
東北大学をはじめ宮城県内で集め、解析した研究です。
朝日新聞さんにも取り上げていただきました。
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201202090823.html
この準備もあり、ブログの更新がなかなかできず、すみませんでした。
17年前の阪神淡路大震災の折に、出血性胃潰瘍が増加するという報告がなされました。
もしかすると多くの方は「ストレスで潰瘍ができる」というのは当たり前では?と思うかもしれません。しかしながら、人間でそれを確かめる実験は倫理的にも難しく、実はヒトにおいては十分に検証されてないことなんです。
今回私たちは、阪神淡路大震災の報告の再検証と更なる特徴について研究しておりました。
目の前の命を救うこと、それは私達医療者に課せられた目指すべき信念です。そして、さらに次の命を守るために、災害や疾病から学ぶことも今を生きる私たちの使命でしょう。
少しずつ、少しずつしか前には進めません。時には押し戻されることもあるかもしれません。けれど、積み重ねて次の命につなげたいです。
11か月を迎える今日、皆さんは思い出していますか。
私も忘れません。
菅野 武
震災に伴うストレスの影響が引き金になっている可能性が高いと考えます。
これは昨日、消化管学会総会で発表しました。
東北大学をはじめ宮城県内で集め、解析した研究です。
朝日新聞さんにも取り上げていただきました。
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201202090823.html
この準備もあり、ブログの更新がなかなかできず、すみませんでした。
17年前の阪神淡路大震災の折に、出血性胃潰瘍が増加するという報告がなされました。
もしかすると多くの方は「ストレスで潰瘍ができる」というのは当たり前では?と思うかもしれません。しかしながら、人間でそれを確かめる実験は倫理的にも難しく、実はヒトにおいては十分に検証されてないことなんです。
今回私たちは、阪神淡路大震災の報告の再検証と更なる特徴について研究しておりました。
目の前の命を救うこと、それは私達医療者に課せられた目指すべき信念です。そして、さらに次の命を守るために、災害や疾病から学ぶことも今を生きる私たちの使命でしょう。
少しずつ、少しずつしか前には進めません。時には押し戻されることもあるかもしれません。けれど、積み重ねて次の命につなげたいです。
11か月を迎える今日、皆さんは思い出していますか。
私も忘れません。
菅野 武
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- 2012年02月11日20:46
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新しい年を迎えて
こんばんは。菅野武です。
仙台はこの1週間ほどの間にぐっと冷え込み、雪も積もって冬らしさを増してきています。
年末年始はどのように過ごされましたか。
私は、診療支援のシフトの関係などもあり、気仙沼で過ごすことが多かったですね。ちょうど、気仙沼市立病院の医局忘年会、医局新年会の両方にたまたま診療支援の日が重なり、まるで常勤スタッフのような顔で参加させていただきました。場所を変えてプレハブで再開している飲食店もあり、町の息吹を感じる機会でもありました。
また、先日のブログでも書きました著書「寄り添い支える」が12月30日に出版され、少しずつではありますが読まれた方から反響をいただいております。
前半の震災体験と苦悩について共感される方もいれば、一方で後半の私が医師を目指したきっかけ、そしてこれからの社会への願いの部分を評価してくださる方もおります。
年明けから今日までの間に、宮城県の高校生に対しての講話や、イラストレーターの牛嶋浩美さんの個展の初日での話、そして昨日21日は慶応義塾大学病院で7大学合同シンポジウムという会が開かれ、その中で被災地支援をされた方々の報告の後に講演と意見交換の機会などがありました。
新しい年を迎えて、私自身このブログで何を伝えようか、少し考えておりました。時折志津川に足を運んではいるものの、今現在沿岸部に住んでいるわけではありません。でも、最近思うんです。被災地の中だから支援ができて、外だからできないわけではないと。いろいろな人とつながり、皆のそれぞれ得意なことを生かしあって新しい社会や次の世代を担う人を作ってゆくことも、大きな支援なのではないかと考えています。そして、そういった「次へつなげる」メッセージを発信していくことは、私自身が震災を乗り越え被災者から震災経験者へと変わることになるのではないかと信じています。
支えられる者から、希望をもてる明日を創るために力を注ぐ者へと進むことができるはず。阪神淡路を乗り越えて、今回の震災時に助けに来てくださった方々のように。
私は、一医者にすぎませんが、人と人をつなぐことが出来るよう努めます。
どうか皆さんのお力を今年も、貸してください。

1月3日、志津川の少し山際にある神社から町を見下ろした写真です。
復興、見えますか?私はまだ感じられません。
がれきをどけ、電気を通し、日本の国力は大したものだと思う反面、何と悲しい光景が10か月経ってなお、目の前にあるのかと思います。
安易に行政のせいにせず、私たち自身気合を入れて立ち上がりましょう!
10年、20年後の子供たちに明るい社会を贈りましょうね!
菅野 武
仙台はこの1週間ほどの間にぐっと冷え込み、雪も積もって冬らしさを増してきています。
年末年始はどのように過ごされましたか。
私は、診療支援のシフトの関係などもあり、気仙沼で過ごすことが多かったですね。ちょうど、気仙沼市立病院の医局忘年会、医局新年会の両方にたまたま診療支援の日が重なり、まるで常勤スタッフのような顔で参加させていただきました。場所を変えてプレハブで再開している飲食店もあり、町の息吹を感じる機会でもありました。
また、先日のブログでも書きました著書「寄り添い支える」が12月30日に出版され、少しずつではありますが読まれた方から反響をいただいております。
前半の震災体験と苦悩について共感される方もいれば、一方で後半の私が医師を目指したきっかけ、そしてこれからの社会への願いの部分を評価してくださる方もおります。
年明けから今日までの間に、宮城県の高校生に対しての講話や、イラストレーターの牛嶋浩美さんの個展の初日での話、そして昨日21日は慶応義塾大学病院で7大学合同シンポジウムという会が開かれ、その中で被災地支援をされた方々の報告の後に講演と意見交換の機会などがありました。
新しい年を迎えて、私自身このブログで何を伝えようか、少し考えておりました。時折志津川に足を運んではいるものの、今現在沿岸部に住んでいるわけではありません。でも、最近思うんです。被災地の中だから支援ができて、外だからできないわけではないと。いろいろな人とつながり、皆のそれぞれ得意なことを生かしあって新しい社会や次の世代を担う人を作ってゆくことも、大きな支援なのではないかと考えています。そして、そういった「次へつなげる」メッセージを発信していくことは、私自身が震災を乗り越え被災者から震災経験者へと変わることになるのではないかと信じています。
支えられる者から、希望をもてる明日を創るために力を注ぐ者へと進むことができるはず。阪神淡路を乗り越えて、今回の震災時に助けに来てくださった方々のように。
私は、一医者にすぎませんが、人と人をつなぐことが出来るよう努めます。
どうか皆さんのお力を今年も、貸してください。
1月3日、志津川の少し山際にある神社から町を見下ろした写真です。
復興、見えますか?私はまだ感じられません。
がれきをどけ、電気を通し、日本の国力は大したものだと思う反面、何と悲しい光景が10か月経ってなお、目の前にあるのかと思います。
安易に行政のせいにせず、私たち自身気合を入れて立ち上がりましょう!
10年、20年後の子供たちに明るい社会を贈りましょうね!
菅野 武
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- 2012年01月22日22:31
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福島県 湯野上
Yunokami, Okuaizu, Fukushima (please click here for map)
冬の東北― その美しさに こころが洗われるようです...そして、よく冷えますね^^;
みなさま 風邪など召されぬようお身体くれぐれも大切になさってください。
にしな あや
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- 2012年01月11日18:22
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福島県 いわき市
Iwaki-shi, Fukushima prefecture (please click here for map)
先週SJBNYチームのメンパーが先週東北の各地を訪れたときに出逢った、美しい東北の風景です。
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- Photo Report
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- 2012年01月11日18:01
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寄り添い支える
いつも私を支えてくださる皆様へ
震災から9カ月が過ぎました。
これまで既に、たくさんの震災に関する記録や本がまとめられてきました。
これからもいろいろな検討がなされ、復興への足掛かりとなることと信じています。
私は今回、自分の言葉で「思い」を本に記しました。
取材や講演など、一部分を切り取ったメッセージではありません。東日本大震災の前から何を考えていたのか、そしてあの受難ともいえる悲劇の中何を思い過ごしたのか、それとこれからの未来への願い。あくまで私個人の体験や思いに過ぎませんが、その中に皆が感じたものがあるように思います。
どうかこれから先、困難に苦しむ人が、ふとした時に手に取ってもらえますように。
地元宮城県の河北新報出版センターのご協力を得て、書き上げることが出来ました。
http://www.kahoku-ss.co.jp/
支えてくださったすべての方への感謝と共に。そして亡くなったすべての被災者、特に大切な友人や私の患者さん達への悼む気持ちを忘れないためにも。
2011年12月30日発売 「寄り添い支える」 価格840円
どうかご覧になってください。そしてもしよろしければ、お近くの図書館においていただけるように図らってもらえませんか。何かの折に「あの震災の時、被災者はどんな思いをしたのだろう」と誰かが手に取ってもらえるように。
読まれたら、感想を教えてくださいね。

高台の避難所から私のいた志津川病院に押し寄せる津波の様子を撮ったものが表紙になりました。4階の窓も突き破られ、町はそのすべてが海になっています。
この瞬間を思い出すだけで、胸が痛いですが、忘れてはいけないことです。
菅野 武
震災から9カ月が過ぎました。
これまで既に、たくさんの震災に関する記録や本がまとめられてきました。
これからもいろいろな検討がなされ、復興への足掛かりとなることと信じています。
私は今回、自分の言葉で「思い」を本に記しました。
取材や講演など、一部分を切り取ったメッセージではありません。東日本大震災の前から何を考えていたのか、そしてあの受難ともいえる悲劇の中何を思い過ごしたのか、それとこれからの未来への願い。あくまで私個人の体験や思いに過ぎませんが、その中に皆が感じたものがあるように思います。
どうかこれから先、困難に苦しむ人が、ふとした時に手に取ってもらえますように。
地元宮城県の河北新報出版センターのご協力を得て、書き上げることが出来ました。
http://www.kahoku-ss.co.jp/
支えてくださったすべての方への感謝と共に。そして亡くなったすべての被災者、特に大切な友人や私の患者さん達への悼む気持ちを忘れないためにも。
2011年12月30日発売 「寄り添い支える」 価格840円
どうかご覧になってください。そしてもしよろしければ、お近くの図書館においていただけるように図らってもらえませんか。何かの折に「あの震災の時、被災者はどんな思いをしたのだろう」と誰かが手に取ってもらえるように。
読まれたら、感想を教えてくださいね。
高台の避難所から私のいた志津川病院に押し寄せる津波の様子を撮ったものが表紙になりました。4階の窓も突き破られ、町はそのすべてが海になっています。
この瞬間を思い出すだけで、胸が痛いですが、忘れてはいけないことです。
菅野 武
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- 2011年12月20日17:26
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自分にできることを探す
こんばんは。菅野武です。
Ayaさんたちの取り組み、素晴らしいですね。
つながること、一人じゃないと知ることはとても大切だと改めて思います。
さて、私事ですがこの1ヶ月で2回ほど、石巻赤十字病院で大変活躍されている石井正先生とお会いしてお話しする機会がありました。
石巻市は被災地域の中でも人口が多く、面積も広いため、私達南三陸町での対応と同じように現場の仕事をすること以外にも、情報収取や解析では大きな労力が必要だったそうです。
そうしたお話の中で、興味深かったのが「支援者の支援」という考えでした。
実は石巻赤十字病院には医療支援チームのほかに、
赤十字本社から多くの事務職員が応援に来ていました。
震災直後からのかなりの期間、被災地ではインターネットや電話での
情報収集が難しい状況が続いておりました。(南三陸も同様)
基本的には機動力のある医療支援チームなどが直接避難所を回って得た避難所の情報(人数、食事、物品さらにはトイレなどの衛生状況や感染症の発生動向など)を集計して、問題点を皆で共有することが必要でした。
膨大な量の情報の集計、解析、更新さらに全体へのフィードバックには大変な労力を要しますし、医療者の得意な仕事ではありません。
そこで南三陸ではHuMAというNPO団体や、山梨大学、国士舘大学などから事務員を継続的に応援していただき、また石巻赤十字病院では日本赤十字社から事務員を継続的に補充され、乗りきったのです。
こうした仕事は被災者の直接的な支援ではありませんが、災害時には大変重要なことだと思います。ボランティアの方々なども当初は各自がバラバラに動いて重複してしまったり、穴が出来てしまうこともありましたが、調整部署としてのボランティアセンターが軌道に乗ってからは、ぐっと効率的に活動されていたように感じます。
また、南三陸町の行政には長期間にわたり東京都、兵庫県などから行政職の方々が継続的に応援にいらしており、役所の書類作成や補助金申請などに大きな役割を果たしました。
Ayaさんたちの活動もそうですが、震災で傷ついた友を支えるにはどうすればよいか、それぞれが考え、できることを果たすという姿勢が大切ですよね。
もう一つはそうした活動をきちんと記録に残すこと。そして初めて次の世代、次の災害にもつなげられるのですから。
先日、鳥取の野の花診療所という在宅医療や終末期医療にご尽力されている施設から、
「被災者のために使ってほしい」とお金の使い道を相談されました。
赤十字社や自治体に寄付するのも手ですが、私はせっかくのお話でしたので、なるべく使い道が見える形にしようと考えました。
そこで南三陸町の包括ケアセンター(保健師さんを中心とした介護、保健分野)と、りあす訪問看護ステーション(訪問看護師)を中心に支援することを考えました。この2か所に共通するのは要介護者や要医療者を「訪問し助ける部署」であるということです。仮設住宅や自宅生活者で支援が必要な被災者を一番支えてくださる人たちだと思います。

寒くなる前に、と思い11月中にダウンジャケットを約50着送りました。
実はこの皆さん自身も被災しているんです。中には家やご家族を失った方もたくさんいます。
支援する側がつぶれないように応援して支えることも、被災地支援のひとつの形なのではないでしょうか。
南三陸のみんな、勝手に写真載せてごめんねー。あんまりいい笑顔だからつい。
許してくださいね。
この写真を鳥取でのフォーラムに11月26日に呼ばれたときに出した際には、みんなから拍手が出ました。きっと「自分たちの支援が届いた」喜びなんだと思います。ありがとうございました。
菅野 武
Ayaさんたちの取り組み、素晴らしいですね。
つながること、一人じゃないと知ることはとても大切だと改めて思います。
さて、私事ですがこの1ヶ月で2回ほど、石巻赤十字病院で大変活躍されている石井正先生とお会いしてお話しする機会がありました。
石巻市は被災地域の中でも人口が多く、面積も広いため、私達南三陸町での対応と同じように現場の仕事をすること以外にも、情報収取や解析では大きな労力が必要だったそうです。
そうしたお話の中で、興味深かったのが「支援者の支援」という考えでした。
実は石巻赤十字病院には医療支援チームのほかに、
赤十字本社から多くの事務職員が応援に来ていました。
震災直後からのかなりの期間、被災地ではインターネットや電話での
情報収集が難しい状況が続いておりました。(南三陸も同様)
基本的には機動力のある医療支援チームなどが直接避難所を回って得た避難所の情報(人数、食事、物品さらにはトイレなどの衛生状況や感染症の発生動向など)を集計して、問題点を皆で共有することが必要でした。
膨大な量の情報の集計、解析、更新さらに全体へのフィードバックには大変な労力を要しますし、医療者の得意な仕事ではありません。
そこで南三陸ではHuMAというNPO団体や、山梨大学、国士舘大学などから事務員を継続的に応援していただき、また石巻赤十字病院では日本赤十字社から事務員を継続的に補充され、乗りきったのです。
こうした仕事は被災者の直接的な支援ではありませんが、災害時には大変重要なことだと思います。ボランティアの方々なども当初は各自がバラバラに動いて重複してしまったり、穴が出来てしまうこともありましたが、調整部署としてのボランティアセンターが軌道に乗ってからは、ぐっと効率的に活動されていたように感じます。
また、南三陸町の行政には長期間にわたり東京都、兵庫県などから行政職の方々が継続的に応援にいらしており、役所の書類作成や補助金申請などに大きな役割を果たしました。
Ayaさんたちの活動もそうですが、震災で傷ついた友を支えるにはどうすればよいか、それぞれが考え、できることを果たすという姿勢が大切ですよね。
もう一つはそうした活動をきちんと記録に残すこと。そして初めて次の世代、次の災害にもつなげられるのですから。
先日、鳥取の野の花診療所という在宅医療や終末期医療にご尽力されている施設から、
「被災者のために使ってほしい」とお金の使い道を相談されました。
赤十字社や自治体に寄付するのも手ですが、私はせっかくのお話でしたので、なるべく使い道が見える形にしようと考えました。
そこで南三陸町の包括ケアセンター(保健師さんを中心とした介護、保健分野)と、りあす訪問看護ステーション(訪問看護師)を中心に支援することを考えました。この2か所に共通するのは要介護者や要医療者を「訪問し助ける部署」であるということです。仮設住宅や自宅生活者で支援が必要な被災者を一番支えてくださる人たちだと思います。
寒くなる前に、と思い11月中にダウンジャケットを約50着送りました。
実はこの皆さん自身も被災しているんです。中には家やご家族を失った方もたくさんいます。
支援する側がつぶれないように応援して支えることも、被災地支援のひとつの形なのではないでしょうか。
南三陸のみんな、勝手に写真載せてごめんねー。あんまりいい笑顔だからつい。
許してくださいね。
この写真を鳥取でのフォーラムに11月26日に呼ばれたときに出した際には、みんなから拍手が出ました。きっと「自分たちの支援が届いた」喜びなんだと思います。ありがとうございました。
菅野 武
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- From Tohoku: 菅野武先生から
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- 2011年12月02日23:27
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FUKUSHIMA“えがお”WRAPPING PAPER
3月に自ら「JP Girls NYC」というボランティア団体を立ち上げられ、
今も尚、NYから様々なかたちで支援活動を続けていらっしゃる歌手のAKさん。
SJB (Save Japan Benefits) との出逢いは、Concerts for Japan (コンサート フォー ジャパン)の5公演目が終了した後の4月でした。
被災された方々にすこしでも寄り添いたい、と
東北に2週間滞在され、SJBが今夏に行った訪問コンサートにも、うたのお姉さんとして参加してくださいました。
今夏わたしが仙台の実家に帰っているときに1週間宮城県を訪問され、
震災地でのコンサートなどを通じてたくさんの時間をご一緒させていただく内に、
このブログでおなじみの菅野武先生や「名取市閖上(ゆりあげ)復興支援のブログ」の荒川洋平さん、そしてSJBの活動を現地で支えてくれた私の同級生や友人たちとも息がぴったりとなり、良い思い出をいっぱい共有させていただきました。
そのAKさんが今回また新たに、福島県の子供たちを支えたい、と
プロジェクトを始動されました。
FUKUSHIMA“えがお”WRAPPING PAPER!
ふくしま、そうまの子供たちの“えがお”でつつもう!
内容は、
AKさんが福島県で行った訪問コンサートで出会った
相馬のみなと保育園の園児のみなさんが描いた絵をラッピングペーパーにし、
ホリデーシーズンで賑わうNYで販売する、という内容です。
ラッピングペーパーは、11” X 17”(インチ) 6種類1枚1ドル & 24” X 36” (インチ) 2種類1枚5ドル(予定価格)で販売され、収益は、震災で親を亡くした子供達を支える、「東日本大震災ふくしまこども寄附金」などへ寄付される予定だそうです。
以下、AKさんのメッセージです:
FUKUSHIMA“えがお”WRAPPING PAPER
このかわいい、思わず笑顔になってしまう絵は、、、
福島県相馬みなと保育園児、3歳、4歳、5歳児が描いてくれた絵です。
3.11の東日本大震災で、地震、津波による被害だけでなく、原発問題の不安が続く福島県。
その被災地を震災後2011年8月に訪ね、福島県相馬にある、みなと保育園でコンサートを行い、歌と楽器を届けました。この絵は、そのコンサートの際に、みなと保育園児達から贈られたプレゼントです。
毎日不安な中で暮らしながらも、笑顔と一緒にもらった園児達からの贈り物。その想い出は大切な宝物です。
NYに持ち帰り、子供達の絵はイベントや学校などで紹介しました。でも、もっとたくさんの方に
福島に関心をよせていただけることを願い、ラッピングペーパーにもすることにしました。
子供達からのあたたかい“えがお”のメッセージをぜひ受け取ってください。
そして、笑顔で包んで福島の子供達からのメッセージを送りましょう!
このラッピングペーパーでたくさんの方がギフトを包まれて贈られ、
たくさんの方が今後も福島の話題に
触れていただけるチャンスが増えることを願います、、、。
これからもみなさんと一緒に、福島の子供達、
そして日本の子供達を守るため、知恵を出し合い、心をよせて支えてゆけたらと思います。
EMI Japanアーティスト / JP GIRLS NYC主宰
AK Akemi Kakihara
NYにお住まいのかたは、ミッドタウンにある紀伊国屋書店にてご購入いただけるそうですので、是非お手にとってみてください。
Kinokuniya Book Store U. S. A. (New York)
1073 Avenue of the Americas New York, NY 10018
(212) 869-1700
笑顔の輪、大きくひろがりますように。
にしな あや
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- From NYC: ニューヨークから
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- 2011年11月29日11:00
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’あいでつつもう’ プロジェクト
こんにちは。
今日のNYは11月末にもかかわらず、コートが必要ないくらいの暖かな気候、
インディアンサマーとなりました。
ちなみにニューヨーク市の位置は緯度: 40°46'、経度: 73°54'で、
緯度は日本の青森とほぼ同じです。
なので、今日のようなお天気は奇跡のようです。
さて、今年も約1ヶ月、震災からも9ヶ月という時が経ちますが、そのようななか、
ホリデーを前に 「Japanese New Yorkers and Moms United to Support Japan」を主宰されている、フィッツジェラルド富沢直子さんから 「’あいでつつもう’プロジェクト」についてお知らせをいただきました。
このプロジェクトは、NY、横浜、いわき の3つの市にそれぞれお住まいのお母さんがたが
協力し合い、いわきの子供たちの描いた絵を可愛らしいラッピングペーパーにし
その収益金を今回津波で全壊となってしまった幼稚園に寄附したい、という思いが
かたちになったご活動です。
NYは毎年この時期たくさんの観光客でにぎわうので、
素晴らしいアイディアだと思いました。
そして何より、NYと横浜といわきのお母さんがたが
子供たちの未来を思って一緒に取り組んだ、というところに
温もりを感じました。
なお、今後はクリスマス以外にも通年で使えるデザインも考案する予定だそうです。
以下、このプロジェクトに携わったお母さんがたからのメッセージです。
今も苦しんでいる方が多くいるという事実は風化していないでしょうか?
3月に日本中、世界中の人がどうにか手を差し伸べたい、と
思った気持ちは、今も被災地に届いているでしょうか?
そんな想いから、直接の面識も無いNY・横浜、そしていわきのママが
『世界中が幸せにあふれるクリスマスシーズンにいま一度
みんなの気持ちを被災地に向けよう、
そして世界中の愛で悲しみをつつもう』
と立ち上げたのが、あいでつつもうプロジェクト。
私たち一人一人ができることは限りなく小さなことです。
でも、小さな想い一つ一つこそが世界を動かすことが出来る、と信じて。
―’あいでつつもう’プロジェクト パンフレットより一部抜粋
にしな あや
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- From NYC: ニューヨークから
- 日時
- 2011年11月29日09:38
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えがお
福島県相馬郡「みなと保育園」の児童のみなさんが描いた笑顔と
ニューヨーカーの笑顔をつなごうと
歌手のAKさんが中心となって 遠くからでも日本を思いをよせるみなさんが
タイムズスクエアに集まりました。
Organized by artist AK, drawings by Fukushima children had sprung countless smiles to Times Square in November.
にしな あや
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- Photo Report
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- 2011年11月29日08:53
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伝えること。つながること
こんばんは。菅野武です。
家に帰ってきて、明日の準備をしているところです。
明日は、静岡県浜松市に朝一番の新幹線で向かいます。
浜松医科大学の主催で、地域医療を志す医学生を中心に一般市民の方々も招いて開かれるイベントで講演をするお話をいただいております。
震災後から、テレビやTIME誌などの影響から多くのところでお話しさせていただく機会をいただいております。震災から8か月たった今も、時々お話が来ます。
一番の多いのは、医学系の学会での発表、講演、その次が大学生に対する講義やシンポジウム、そのほかにも高校生との懇話会や、地域の市民フォーラム、、中には行政の方々の勉強会なんてのもあります。スケジュールの許す限り、お受けして一緒に話し合い、考える機会を持つようにしています。
では、みなさんは何を知りたくて私の話を聞くのでしょうか。
もちろん、相手によって知りたいことは様々でしょうが、背景にはおなじ気持ちがあるのではないかと感じることがあります。
それは「何を思って生き、そして今につながっているのか」ということだと思います。大きな悲しみや、避けられない困難の中で、何を思って過ごしどう打ち勝とうと足掻いているのか。そういった心の動きは、必ずしも自然災害に限ったことではなく、私たちの人生の中で大なり小なり皆が味わうことです。その究極の形として、理不尽に命や生活が奪われた震災という出来事があるのではないでしょうか。突きつけられた理不尽に、どうやって立ち向かうのか、それを世の中の皆さんは自分自身の人生に投影して理解したいと思っているのではないかと。
医者にとっては命を守り支えること。高校生にとっては受験や自分の仕事を決め進むこと、行政の方にとってはより良い社会を作ること。市民の方々に至ってはさらに色んな困難への挑み方があると思います。
表現型の差はあれど、私たちが経てきてこれから進む心の復興・立ち直りとは世の中のすべての人にとって苦しみを乗り越えるきっかけとなれるかもしれません。
あきらめないこと。
自分にできることを探すこと。
そして一人ではないことを知り、人の輪のチカラを信じること。
くさいセリフかもしれませんが、苦難にまけない真実だと思います。
全てを失った南三陸町で、私たちはそれでも生きました。皆で手を取って。
この経験が、少しでも皆さんの苦難を乗り越える一助になりますように。
そうでなくては亡くなった友に顔向けできません。

先日志津川病院の場所に行った時の写真です。

歌津地域の仮設住宅です。プレハブで寒そうですが、みんな頑張って生きています。
今、そうした思いを残そうと、本をまとめています。
河北新報さんと一緒に進めています。
出来上がったらここでも報告しますね。
私個人の体験に過ぎませんが、それは日本中のみんなが味わった胸の痛みでもあるのだと思います。
菅野 武
家に帰ってきて、明日の準備をしているところです。
明日は、静岡県浜松市に朝一番の新幹線で向かいます。
浜松医科大学の主催で、地域医療を志す医学生を中心に一般市民の方々も招いて開かれるイベントで講演をするお話をいただいております。
震災後から、テレビやTIME誌などの影響から多くのところでお話しさせていただく機会をいただいております。震災から8か月たった今も、時々お話が来ます。
一番の多いのは、医学系の学会での発表、講演、その次が大学生に対する講義やシンポジウム、そのほかにも高校生との懇話会や、地域の市民フォーラム、、中には行政の方々の勉強会なんてのもあります。スケジュールの許す限り、お受けして一緒に話し合い、考える機会を持つようにしています。
では、みなさんは何を知りたくて私の話を聞くのでしょうか。
もちろん、相手によって知りたいことは様々でしょうが、背景にはおなじ気持ちがあるのではないかと感じることがあります。
それは「何を思って生き、そして今につながっているのか」ということだと思います。大きな悲しみや、避けられない困難の中で、何を思って過ごしどう打ち勝とうと足掻いているのか。そういった心の動きは、必ずしも自然災害に限ったことではなく、私たちの人生の中で大なり小なり皆が味わうことです。その究極の形として、理不尽に命や生活が奪われた震災という出来事があるのではないでしょうか。突きつけられた理不尽に、どうやって立ち向かうのか、それを世の中の皆さんは自分自身の人生に投影して理解したいと思っているのではないかと。
医者にとっては命を守り支えること。高校生にとっては受験や自分の仕事を決め進むこと、行政の方にとってはより良い社会を作ること。市民の方々に至ってはさらに色んな困難への挑み方があると思います。
表現型の差はあれど、私たちが経てきてこれから進む心の復興・立ち直りとは世の中のすべての人にとって苦しみを乗り越えるきっかけとなれるかもしれません。
あきらめないこと。
自分にできることを探すこと。
そして一人ではないことを知り、人の輪のチカラを信じること。
くさいセリフかもしれませんが、苦難にまけない真実だと思います。
全てを失った南三陸町で、私たちはそれでも生きました。皆で手を取って。
この経験が、少しでも皆さんの苦難を乗り越える一助になりますように。
そうでなくては亡くなった友に顔向けできません。
先日志津川病院の場所に行った時の写真です。
歌津地域の仮設住宅です。プレハブで寒そうですが、みんな頑張って生きています。
今、そうした思いを残そうと、本をまとめています。
河北新報さんと一緒に進めています。
出来上がったらここでも報告しますね。
私個人の体験に過ぎませんが、それは日本中のみんなが味わった胸の痛みでもあるのだと思います。
菅野 武
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- From Tohoku: 菅野武先生から
- 日時
- 2011年11月11日23:52
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Beautiful Sky
2週間前ここNYでは一足早く初雪が降りました。
A couple weekends ago, we had our first snow here in New York CIty.
その後のニューヨークはあの日の雪景色が夢だったかのように
秋晴れが続き、夕暮れ時の空が美しいです。
にしな あや
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- 2011年11月11日02:08
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